秋 田 の 中 世 史 ー 秋田の中世を歩く ー
年号 西暦
文治5 1189年 7月 源頼朝の奥州征伐 出羽方面は比企能員・宇佐美実政等が総将として出陣。(『吾妻鏡』
9月 河田次郎、藤原泰衡を贄の柵で殺害。(『吾妻鏡』
9月 源頼朝、由利八郎を赦免。(『吾妻鏡』
9月 橘公業、秋田郡・小鹿島の地頭職に任ぜられる。(『吾妻鏡』
文治6 1190年 1月 「大河兼任の乱」
 建保元 1213年 5月 北条義時、由利郡を由利惟久から没収して大弐局に与える。(『吾妻鏡』
 嘉禄2 1226年 浅利七郎、結城七郎とともに白河関で謀反を企てた若宮禅師公暁を誅殺。(浅利氏、この頃に比内郡に入部か?)(『吾妻鏡』
 弘長ー
文永初年
1261-
1264年頃
この頃、小野寺経道、雄勝郡に入部。また武蔵武士団成田・安保・奈良・秋元氏の一族、鹿角郡に入部。
 建治3 1277年 4月 高井道円(三浦時茂)、出羽国常牧郷(雄勝郡)を含む所領を孫の義長に譲る。(『高井道円譲状案』「中条文書」
 弘安元
建治4
1278年 和田義長、出羽国常牧郷(雄勝郡)を含む所領を鎌倉幕府から安堵される。(『将軍家政所下文案』
 正応元 1288年頃 橘公員、秋田郡の地頭職を放棄。
 文保2 1318年 8月 平賀惟藤、出羽国平賀郡内の所領を安芸尼に譲る。(『平賀惟藤譲状』「平賀家文書」)
 元徳3
(元弘元)
1331年 羽州由利郡津雲出郷の源(大井)正光、滋野(根井)行家が鳥海山元宮に十二神将を奉鋳。(『鳥海山元宮の銅錬札』
 建武元
(元弘4)
1334年 1月 北畠顕家、鹿角国代に成田小二郎左衛門尉頼時を任命する。(『南部文書』
2月 北条氏の残党勢力(津軽安藤氏の一族?)が小鹿島と秋田城に楯を築いて立て籠もる。(『陸前斉藤文書』『曽我光高申状案』
 建武3
(延元元)
1336年 8月 浅利六郎四朗清連、津軽大光寺の曽我貞光とともに南朝方の鹿角国代成田頼時が立て籠もる大里館を攻撃。(『曽我貞光軍忠状』
11月 足利幕府成立
 建武4
(延元2)
1337年 7月 曽我貞光、鹿角郡の南朝方の拠点 二藤次楯(不明)・当楯(石鳥谷館か?)・大豆田楯(不明)を攻撃。(『南部文書』
 建武5
(延元3)
1338年 7月 小野寺摩珠丸、北朝軍に与して山城国「男山八幡の戦」に参陣。(『小野寺摩珠丸代官軍忠状写』「神戸小野寺氏文書』
 康永元
(興国3)
1342年 足利氏、和田石見左衛門蔵人繁晴に出羽国山本郡幡江郷内荒居村を打ち渡す。(『新渡戸文書』
 康永3 1344年 4月 小鹿島の地頭職安倍兼季、北浦日枝神社主殿を修造。(この頃、湊安東氏 小鹿島に定着か?)(『北浦日枝神社史料』
貞和5
(正平4 )
1349年  12月 熊野信仰が奥羽に浸透し、稲庭氏(小野寺氏か?)、川連氏も入信。(『陸奥国先達檀那系図注文案』「米良文書」
 観応3
(正平7)
1352年 10月 和賀基義、足利幕府から陸奥国和賀郡内和賀越前権守行義跡4/5と出羽国山北山本郡内安本郷(金沢安本)・阿条字郷(畑屋安城寺)・雲志賀里郷(雲然)を宛がわれる。(『鬼柳文書』
 延文4
(正平14)
 1359年 4月 平賀貞宗、足利義詮より出羽国平鹿郡の惣領職を宛がわれる。(『足利義詮下文』「平賀家文書」
 元中9
(明徳3)
1392年 南北朝合一
 応永初年
(明徳5)
1394年頃 この頃、湊安東氏、秋田郡に定着か?
応永7  1400年 8月 足利義満、小野寺重道に本領及び当知行地を安堵。(『足利義満御判御教書』「久我家文書」
応永18  1411年 1ー4月 南部守行、出羽国仙北郡に侵入して苅場野(刈和野)で湊安東庶季と戦う。(『八戸伝記』
 応永20 1413年 伊達持宗が鎌倉公方足利持氏に謀反を起こした「伊達持宗の乱」に戸沢泰盛・小野寺春通・本堂氏・由利衆が出陣。(『南部叢書』
応永30  1423年 戸沢家盛、角館に進出。(『戸沢家譜』
 応永34 1427年 8月 小野寺某、上洛して足利義持に馬を献上す。(『満済准后日記』八月十日の条
 嘉吉元 1441年 7月 比内独鈷の浅利氏、由利の先達良春の手引で那智大社に願文を奉る。(『米良文書』
 宝徳元 1449年 8月 足利幕府、出羽国由利郡赤宇曽の荘園を醍醐寺三宝院領として安堵し、小野寺家道を仲介に赤宇曽領主小介川立貞に伝えるも 小介川立貞これを拒否。(『醍醐寺文書』
 享徳4 1455年 平泰春(湊安東成季か?)、増川八幡神社に「扇形懸仏」を奉納(「懸仏」の奉書板
 康正2 1456年 8月 秋田(湊)盛季、南部光政と戦う。(『南部世譜附録』
  安東政季、湊安東尭季に招かれて小鹿島に入部。(『新羅之記録』
 長禄4 1460年 8月 安倍師季(安東政季か?)、鹿角郡の大日堂に梵鐘を寄進。(『大日堂故実伝記』
 寛正6 1465年 8月 小野寺氏、南部光政と戦う。(『蜷川親正日記』
 応仁元 1467年 「応仁の乱」
 文明14  1482年 4月 「夷千島王遐叉」(安東政季か?)、朝鮮に使者を送り大蔵経を求める。(『成宗大王実録』
長享2  1488年 3月 安東政季、河北糠野城で長木大和守の謀反を受けて自害。(『福山秘府』他)
 明応4 1495年 安東忠季、河北千町を知行して檜山城を築き、「檜山之屋形」と称す。(『新羅之記録』
 明応5 1496年 10月 安東忠季、松前下国家の内訌に介入し松前守護職下国恒季を討伐。(『新羅之記録』
明応8  1499年 12月 奥州探題大崎氏を巡る争乱で出羽国仙北、由利衆は探題方に加担して参陣。(『薄衣状』
 永正11  1514年 3月 安東尋季、アイヌを鎮圧した蠣崎(武田)光広を夷島守護職に任ず。(『新羅之記録』
 天文5 1536年 南部安信の弟靱負秀範、毛馬内に入部。(『大円寺縁起』
 天文15 1546年 春 安東尋季、謀反を起こした河北郡森山の館主飛騨守季広を討伐。(『新羅之記録』
7月 湊安東氏内部で内紛か?。(『本願寺證如上人日記』
 天文19 1550年 6月 独鈷城主浅利則頼、家臣とその知行地をまとめ『浅利與市侍分限』を作成。(『下川沿佐藤文書』
  6月 安東舜季、蝦夷地を巡見。(「東公之島渡」)(『新羅之記録』
 天文21 1552年 横手(大和田)佐渡守・金沢八幡別当金乗坊、湯沢城に小野寺雅道を攻め自害に追い込む。(『奥羽永慶軍記』
 弘治元 1555年 小野寺雅道の子輝道、横手佐渡守・金沢金乗坊を攻め旧領を回復。(『奥羽永慶軍記』
 永禄5 1562年 8月 安東愛季、比内長岡城を攻撃して浅利則祐を自害に追い込む。(坊沢『長崎氏旧記』
 永禄8 1565年 1月 ルイス・フロイス、蝦夷島の蕃人の風俗を伝え、出羽秋田との交易について記す。(『イエスズ会士日本通信』
安東愛季、嘉成右馬頭に命じて鹿角郡に侵攻するも失敗。大里備中・花輪中務・柴内等安東氏に内応。(安東愛季の鹿角侵攻)
 永禄9 1566年 7月 安東愛季、再度 鹿角郡に侵攻して谷内館を攻撃。長牛(一戸)縫殿介友義を南部に追い落して鹿角を制圧。(『南部聞老遺事』
 永禄12 1569年 南部晴政、鹿角郡を奪還して安東勢力を鹿角から駆逐。(『南部聞老遺事』
  12月 土佐林氏頼、小野寺氏の家臣西野氏へ安東氏との和睦に応じるよう依頼。(『土佐林氏頼書状写』「秋田藩家蔵文書」
 元亀元 1570年 6月 安東愛季、弟茂季を湊安東家へ養子として送り込んだため、湊家の家臣豊島・下刈・川尻氏等が反発して湊城を攻撃。小野寺氏も軍事介入。(「第一次湊騒動」)(『市川湊文書』
 元亀2 1571年 7月 安東愛季、小野寺氏と和睦。(『市川湊文書』『土佐林禅棟書状』
 元亀4 1573年 足利幕府 瓦解
 天正2 1574年頃 矢島大井氏、滝沢氏を攻撃。(『由利十二頭記』
  大曲城主前田薩摩守、由利郡に侵入して羽川氏を攻撃。(『由利十二頭記』
 天正3 1575年 2月 織田信長、謹上書礼をもって安東愛季に鷹を求める。(『市川湊文書』
 天正6 1578年 7月 大浦為信に攻められた浪岡御所北畠顕村を救援するため、安東愛季津軽に出陣。(『封内事実秘苑』
 天正7 1579年 大曲城主前田薩摩守、安土城で織田信長に拝謁。(『信長公記』
 天正9 1581年 5月 真室城主鮭延秀綱、最上義光に仕える。
 天正10 1582年 6月 本能寺の変
7月 庄内尾浦城主武藤義氏が由利郡に侵攻し小介川氏を攻撃したため、安東愛季 由利郡に出陣して庄内軍と対峙。(「荒沢の戦」)(『秋田小介川文書』
  8月 由利衆、小野寺領に侵攻。(「大沢山の戦」か?)(『奥羽永慶軍記』
9月 羽柴秀吉、安東愛季に「本能寺の変」と「山崎の戦」後の状況を述べる。(『羽柴秀吉書状』
 天正11 1583年 3月 安東愛季、浅利勝頼を檜山城で謀殺して比内郡を制圧。勝頼の子則平、津軽に逃れる。(『新羅之記録』
 天正12 1584年 5月 浅利則平、津軽氏の支援を受けて比内郡に侵攻するも失敗。(その後、天正14年4月 同15年5月にも侵攻する)
 天正14 1586年 6月 小野寺義道、最上領に侵攻。(「有屋峠の戦」)
 天正15 1587年 3月 西馬音内氏、由利郡から撤退し、由利郡の争乱終結。(矢島大井氏没落か?)(『秋田藩家蔵文書』石郷岡氏景書状
  4月 大光寺光愛、五十目兵庫を内応させ大館城を攻略。南部信直、北信愛に比内統治を命じる。(『南部聞老遺事』
  9月 安東愛季、仙北に侵攻して唐松野で戸沢氏と対陣(「唐松野の戦」)中に死去。
  10月頃 小野寺氏、六郷氏と対立。(『本間美術館文書』
        最上義光、庄内を制圧して由利十二頭を支配下に置く。(『藤田文書』
  12月 豊臣秀吉、関東・陸奥・出羽に惣無事令を発令。
 天正16  1588年 7月頃 小野寺氏、六郷氏と和睦。(『本堂道親書状』
  8月 岩屋朝盛、「十五里ヶ原の戦」に最上軍として出陣。(『秋田藩家蔵文書』
  9月 安東氏、淀川で小野寺氏・戸沢氏と対陣。(『秋田藩家蔵文書』
 天正17 1589年 2月 愛季の嫡子安東実季、湊安東高季に攻められ檜山城に籠城。(「第二次湊騒動」)
  4月 嘉成常陸・嘉成右馬頭、阿仁郡に侵攻した萱森判官率いる南部勢を塚の台で撃退。(『秋田家蔵之書』『湊九郎茂季書状写』
  安東実季、安東高季に反撃を開始。5月 「船越の戦」で勝利を納め湊城を攻略。高季を南部に追い落とす。(「第二次湊騒動」終結)(『檜山奈良岡文書』『嘉成康清文書』等)
9月 安東実季、「湊騒動」の原因と状況をまとめる。(『湊・檜山両家合戦覚書』
 天正18  1590年 安東実季、南部氏の内訌に乗じて比内郡に侵攻、比内領を奪還。(『南部根元記』『秋田家文書』
  3月 「小田原の役」
  6月 西馬音内茂道、小田原参陣のため(?)家臣に役銭を課す。(『石垣文書』
  7月 戸沢光盛、豊臣秀吉より兄盛安の遺領を安堵され、8月 角館を除く「領内三十五城破却」を命ぜられる。(『戸沢家文書』
  8ー10月 出羽国で太閤検地を実施し、太閤蔵入地を設定して年貢を収納(『色部氏文書』等)
  10月 太閤検地に反発した仙北一揆勃発
 天正19 1591年 1月 太閤検地により出羽所領の確定(豊臣秀吉の『朱印状』) 安東(秋田)実季(52000石) 小野寺義道(31600石) 戸沢光盛(44350石) 本堂忠親(8980石) 六郷政乗(4520石) 仁賀保挙誠(3710石) 内越宮内少輔(1250石) 岩屋朝盛(890石) 石沢二郎(390石) 下村彦次郎(170石) 玉米式部少輔(所領不明) 根井正重(170石) 小介川(所領不明) 神尾町氏(2661石) 久米氏(1899石) 金沢氏(2489石)
  2月 小野寺義道、仙台に通じた川連城主川連蔵人を成敗。(『秋田藩家蔵文書』
  6月 安東愛季他出羽衆、「九戸の乱」に出陣。(『秋田藩家蔵文書』
 文禄元 1592年頃か? 由利十二頭連合軍、大井満安を攻撃し、西馬音内城で自害に追い込む?。(『由利十二頭記』
 文禄2 1593年 朝鮮出兵のため安東・本堂・小野寺・由利衆、肥前名護屋に出陣。(『浅野家文書』
 文禄4 1595年 楯岡満茂率いる最上軍、小野寺領に侵攻して湯沢城岩崎城を攻略。(雄勝制圧)
 慶長元 1596年  12月 片桐且元、佐々正孝に安東・浅利紛争について両家の調査を依頼。(『片桐且元文書』
 慶長2  1597年 小野寺義道、最上軍と対峙。(「大島原の戦」)
9月 浅利則平、長束正家に天正18年以降の軍役・物成を報告し、また安東氏との紛争被害を明記。(『浅利則平物成上申覚 写』
 慶長5 1600年 9月 「関ヶ原の戦」 小野寺義道、最上領に侵攻するも西軍の敗戦で退却、最上・安東・六郷・戸沢氏の攻撃を受ける。
 慶長6 1601年 小野寺家改易、小野寺義道 石見国津和野に配流。
 慶長7 1602年 佐竹義宣の秋田転封にともない、出羽衆 常陸へ移封。