岩城館
秋田県秋田市下新城岩城
立地・構造
 岩城館は新城川左岸の独立丘陵(比高70m)上に築かれた丘城で、新城川流域と岩城館東麓の街道を監視する要衝に位置します。岩城館は東から北麓を流れる新城川を自然の濠とし、東・西側は急峻な断崖で防御された要害です。大手は北麓から延びる北側尾根で、南北に伸びる尾根上に郭を段郭式に配置し、堀切で遮断しています。中枢になるのは主郭・二の郭で、かなり広いスペースがあることから居館等が想定されます。
歴史・沿革
 築城は貞和年間(1345−49)年に新城右衛門太夫が築き居城としたのが初源とされます。新城氏の出自・事績は不明で、室町期には没落したようです。その後、戦国期の弘治3(1557)年に檜山城主安東愛季に攻められるまで、岩城館は佐藤出羽守綱吉が城主だったと伝えられます。この後、岩城右衛門太夫康信が城主となりますが、天正16(1588)年の「湊騒動」(安東氏の内訌)で岩城氏は湊安東高季に味方したため、檜山城主安東実季に攻められ岩城館は落城し、ほどなく廃城になったと考えられます。新城川・馬踏川流域には小規模な城館が幾つかありますが、湊安東氏時代には岩城氏がこの流域の旗頭として、在地土豪をまとめていたのではないでしょうか。
岩城館  遠景
メモ
新城川・馬踏川流域の
旗頭岩城氏の館城
形態
平山城
別名
・・・・・・・・・ 
遺構
郭・堀
場所
場所はココです
新城神社境内
駐車場
登り口に1台位は置けます
集落内には駐車スペース
はありません
訪城日 平成17(2005)年6月15日
平成18(2006)年9月13日
新城川
岩城館の東から北麓を流れ、自然の濠だったようです。
登り口
岩城館の北麓には「菅江真澄の道」の標柱があります。ここから山道がありますが、新城神社参道で大手道ではないようです。大手は写真左側の採土で消滅したようです。
岩城館西側
山道(参道)は岩城館の西側斜面に作られています。しばらく山道を進むと西側の尾根にも遺構が見られます。堀切で分断された尾根には4−5段の小郭があります。
堀切
大手筋(北側尾根)の郭を分断する堀切で、幅10m以上ある大規模なものです。
西側切岸
山道(参道)は西側斜面に作られています。写真上方の北側尾根(大手筋)には郭があったようです。切岸は10m以上あります。
堀切
岩城館の大手筋には数条の堀切があったと思われますが、側面から確認できるのは上記とこの2条です。この堀切は上辺5−6mほどです。
新城神社
新城神社は岩城館の二の郭北東隅に祀られています。周囲に土塁状のものも見られますが、神社建立時の改変と思われます。
二の郭
東西120m×南北120m。主郭の西から南側をカバーし、南北に二段に削平されています。
主郭・二の郭間の空堀
幅15−20mほどあり、尾根を断ち切っています。
主郭切岸
4−5mの比高があります。前面は二の郭間の空堀です。
主郭
東西30m×南北50m。南側には堀切があるようですが未確認です。
福城寺
岩城氏の菩提寺。岩城館の西麓に位置します。