三内丸山遺跡
青森県青森市三内
概  要
 三内丸山遺跡は八甲田山系から北側になだらかに張り出した丘陵先端、沖館川南岸の段丘上(比高10m前後)に築かれた縄文中期頃(紀元前35−25世紀)の大型集落祉です。遺跡の規模は東西350m×南北250mほど、内部からは発掘調査で竪穴式住居・大型掘立柱建物・掘立柱建物・高床式建物・貯蔵穴・土壙墓・ゴミ捨て場等が確認され、「ムラ」を構成した与件が計画的に配置されていたと推測されています。確認された住居址は10棟以上の大型の竪穴式住居を含め約780軒にのぼり、最盛期には500人前後の人口を有していたと思われます。また遺跡内部からはエゴマ・ヒョウタン・ゴボウ・マメ等の栽培植物が出土しており、採取活動だけではなく、「ムラ」の周囲にこれらの植物を栽培していた可能性もあるようです。現在、遺跡は国の特別史跡に指定され、竪穴式住居・大型掘立柱建物・掘立柱建物・高床式建物等が復元されています。
三内丸山遺跡 復元掘立柱建物
メモ
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形態
縄文期の大型集落(古代ムラ)
別名
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遺構
復元住居・復元高床式建物
・土壙墓
場所
場所はココです
駐車場
専用駐車場あり
訪城日
平成23(2011)年4月14日
(写真左上) 南側からの遺跡遠景
(写真右上・左) 復元竪穴式住居
地面を掘り込んで床をつくり、中央に炉が設けられています。形式・構造は柱の配置、炉の位置により時代的な変化が見られ、また屋根は茅葺き・樹皮葺き・土葺きがあったようです。
(写真左下) 復元土葺き住居 
(写真右下) 復元高床式建物
集落の中央部で発見された掘立柱建物祉、周辺に生活の痕跡が見られないことから高床式の建物であった可能性が高いと推測され、現在 3棟の高床式の建物が復元されています。
(写真左上・右上) 南盛土
竪穴式住居や柱穴を掘った際の残土や排土・焼土を捨てたと思われる小山。内部からは土器・石器等の生活廃棄物や土偶や翡翠等の遺物も確認されています。現在は内部の断面を見ることができます。また翡翠が出土していることから糸魚川周辺との交易も推測されています。
(写真右・左下) 復元大型掘立柱建物
直径約2m、深さ約2mの柱穴が4.2mの等間隔で6柱分確認され(径1mのクリの柱が1本残存)、大型の高床式建物と推測されています。望楼あるいは祭祀施設か?。
(写真左上) 復元大型竪穴式建物
長さ32m、幅10mの三内丸山遺跡最大の竪穴式建物、「ムラ」の中央に位置しており集会所・共同作業所・共同住宅等の説があるようです。
(写真右上) 土壙墓
大人は地面に掘られた円形・楕円形の穴に埋葬され、墓は道路をはさんで向かい合うように2列に配置されていました。約500基の墓が確認されています。
(写真左) 泥炭層
北側中央に入り込んだ沢はゴミ廃棄場として利用されていたと推測され、土器・石器や木製品・漆器・動物や魚の骨・植物の種子・木の実・寄生虫卵等が出土しています。