関川館
山形県鶴岡市(旧温海町)関川
立地・構造
 関川館は庄内平野南部の中山間地、関川地区背後(北側)の南西方向に張り出した丘陵突端(比高40m)に築かれた平山城です。規模は東西100m×南北80mほど、館の構造は頂部を5-6mの段差で加工した2段構造になっていたようです。背後の尾根続きには堀切は見られず、全体的に規模の小さい城砦だったと思われます。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。同地は越後から庄内に繋がる「雷峠越」の庄内側の入口にあたっており、庄内勢力 小国城の支城として整備されたと推測されます。なお近世、同地には庄内鶴岡藩の口留番所が置かれ、「戊辰の役」でも利用されたと伝えられます。
歴史・沿革
関川館 西側からの遠景
メモ
小国城の支城
形態
平山城
別名
楯の山
遺構
郭(平場)
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成29(2017)年4月27日

関川館は庄内南部の中山間地、関川集落を見下ろす高台に築かれた平山城です。(写真左上ー西側からの遠景 写真右上ー南西麓から近景) でっ、館へは南西麓の民家脇に登口があって(写真左)、ここから斜面を縫うように山道が設けられています。(写真右下)

でっ、南側斜面を登っていくと最初の平場が見えてきます。規模は幅3-4mほど。(写真左上) でっ、さらに登ると堂舎の祀られる先端の郭(下段郭)にたどり着きます。(写真右上) 規模は10m四方ほど。背後は5-6mの切岸で画され(写真右・左下)、平場(上段郭)が設けられています。(写真右下) 郭の規模は東西25m×南北10mほど。ハッキリしませんが ・・・・・・・・、どうも東西の2段構造になっていたようです。ただ ・・・・・・・・、上段の背後には堀切は見られず、全体的に極々 小規模な城砦だったようです。また館の向きは「雷峠越」を抑える高所に位置せず、関川集落への流入口を見下ろす要地に位置しており物見砦として利用されたのでしょう。
(写真左上) 上段郭背後の尾根には堀切なし
(写真右上) 日本の原風景のような関川集落、ムチャクチャきれいで()になる集落です。
 
(写真左) 「戊辰の役 激戦地」碑
慶応4(明治元 1868)年9月11日(旧暦)、薩長勢は庄内鶴岡藩の待ち受ける雷峠を避けて迂回し、関川を急襲して庄内勢を越沢に退却させました。その後、庄内勢は薩長勢の占拠する関川を奪還すべく 数次にわたって関川を攻撃しましたが果たせず、9月27日(旧暦) 庄内藩は薩長勢に降伏・恭順しています。