府 中 城
福井県越前市(旧武生市)府中
立地・構造
 府中城は日野川左岸の平野部、古くは越前国府が置かれた府中に築かれた平城です。城は現在の越前市役所周辺にあったようですが、市街化により消滅し規模・構造は不明。市内正覚寺に移築城門が残っています。

 天正3(1575)年、越前一向一揆を制圧した織田信長は北の庄に柴田勝家を配し、勝家の与力として前田利家・不破光治(龍門寺城)・佐々成政(小丸城)を越前府中に配置しました。府中城はこの際、前田利家が朝倉氏時代の府中奉行所跡に築いたのが初源とされます。慶長5(1600)年の「関ヶ原の戦」後、越前北の庄城には徳川家康の次男結城秀康が入城し、府中城には秀康の付家老 本多富正が据えられました。富正は前田氏時代の府中城を拡張し、さらに城下町を整備して、府中城には本多氏が明治維新まで在城しました。
歴史・沿革
府中城 城址碑文
メモ
中世ー前田氏の館城
近世ー福井松平藩の家老
本多氏の居城
形態
平城
別名
府中館
遺構
移築城門
場所
場所はココです
駐車場
・・・・・・・・・
訪城日
平成21(2009)年3月29日
正覚寺山門
府中城の表門を移築したと伝えられます。なお正覚寺は南北朝期に越前守護職斯波高経が築いた新善光寺城祉に創建されたものです。
龍泉寺山門
府中城の勘定奉行所の表門を移築したと伝えられます。
府中はもともと古代律令国家時代の国府が置かれた場所で、このため総社(写真左)・国分寺(写真右)といった国府とセットになった祭祀施設が残っています。(場所・規模ともに往時とは違うと思われますが・・・・・・) なお総社については前田利家が府中城を築く際、北西方向に移されたと伝えられます。