湯瀬館
秋田県鹿角市(旧八幡平村)八幡平字湯瀬古館
立地・構造
 湯瀬館は米代川の中流域、狭隘な谷底平野を望む河岸段丘上(比高20−25m)に築かれた丘城です。規模は推定東西450m×南北180mほど、大きくは東・西の2郭と両郭間の郭からなり、郭間は複雑に入り込んだ沢で区画されていました。現在、城址の大部分は東北道建設により消滅していますが、建設前の発掘調査から建物祉や土師器・陶磁器・銅銭等が出土しています。

 築城時期・築城主体ともに不明。『鹿角由来記』には「一、湯瀬村 
湯瀬中務領地本名成田後ニ湯瀬刑部領ス本名安倍也一戸より来り 館有」と記され、もともと鎌倉中期 地頭職として鹿角に入部した武蔵七党横山党の成田氏が庶流を湯瀬に配していたと思われます。しかし鎌倉幕府の瓦解とともに鹿角成田氏は衰退し、成田氏の所領は丹党安保氏にとってかわられ、さらにその後(戦国中期) 鹿角に進出した一戸氏が湯瀬館に拠していたものと思われます。天正19(1591)年、城割。
歴史・沿革
湯瀬館  史跡標柱
メモ
「鹿角四十二館」
鹿角成田氏の庶流 湯瀬氏の館城
形態
丘城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀祉
場所
場所はココです
駐車場
駐車スペースあり
訪城日
平成25(2013)年10月1日
湯瀬館は湯瀬温泉背後(北側)の丘陵上に築かれた丘城で、現在は東北道建設のため、遺構の大部分が消滅しています。(写真左上ー南側からの遠景、見えませんが・・・・・・・・・) でっ、とりあえず主郭と思われる東郭を目指します。(写真右上ー西側からの近景) 東郭も御多分にもれず郭の北側が東北道により破壊されていますが、『秋田県の中世城館』によると規模は東西60m×南北90mほど、もとは湯瀬小学校の校地だったようで藪の中に校舎の一部が残っています。(写真左) でっ、東郭の西ー南側下には帯郭が巻かれ、西側には神明社が祀られています。(写真左下) ちなみに大手導線は西側下の堀底道だったのでしょう。(写真右下)
でっ、西郭の場所がはっきりせず、とりあえず当サイトでは東北道の下りSAのある部分を西郭としていますが・・・・・・・・・・(写真左上ー東側からの近景 写真右上ー現湯瀬SA)、『秋田の中世城館』の所収図を見る限りでは、現在 史跡標柱の建つでっぱり部分のような気も・・・・・・・・・。(写真右・左下) ま〜〜〜、東北道の建設により あとかたもなく改変されているようです。
湯瀬館は米代川に沿った谷底平野を見下ろす高所に位置し、鹿角へ入る街道を守備・監視する要衝地にあります。(写真右下ー湯瀬温泉が一望にできます)