岩井川城
秋田県雄勝郡東成瀬村岩井川
立地・構造
 岩井川城は成瀬川の中流域、成瀬川と合井川の合流地の北岸、岩井沢と菅又沢に挟まれ西側に張り出した舌状台地先端(比高30m)に築かれた平山城です。城の規模は東西380m×南北120mほど、内部は3−4mの段差で仕切られた東・西の2郭からなります。規模は東郭が
岩井川城概念図
東西200m×南北40ー100m、西郭が東西180m×南北80mほど。現在、東郭は水田、西郭はグラウンドや諸々の施設に改変され、遺構等は消滅していますが、東郭の北東側には城域を区画したと思われる堀祉や、東側には城塁と思われる切岸地形が見られます。城の性格は古いタイプの在地領主の館城と想定されますが、同地は雄勝郡から陸奥国西磐井郡・江刺郡に繋がる街道を抑える谷口に位置しており、監視・物見の機能もあったと思われます。
歴史・沿革
 築城時期は不明。『長渓山龍泉寺史』によると応永年間(1394−1427年)、飛鳥からこの地に入部した高階大次郎通治は馬場館を築き拠点としましたが、後に高階氏は新たに岩井川城を築いて移り住んだとされます。(室町末ー戦国初期頃か?) 戦国期、高階氏は小野寺氏の支配下に組み込まれ、以後 岩井川城は小野寺・葛西領の「境目の城」として機能したと推測されます。文禄4(1595)年、最上義光の雄勝侵攻が開始され、丹与惣左衛門率いる最上勢が成瀬川をさかのぼり田子内城を攻撃すると、岩井川兵部大輔は田子内治部を支援して最上勢を撃退しました。慶長6(1601)年、小野寺氏が改易になると岩井川城も廃城になったと思われます。
岩井川城  東郭北側の堀祉?
メモ
在地勢力
岩井川高階氏の館城
形態
平山城
別名
・・・・・・・・
遺構
堀祉?
場所
場所はココです
駐車場
城祉内部に空地あり
訪城日
平成23(2011)年5月9日
岩井川城は成瀬川の中流域、岩井沢地区東側の丘陵突端に築かれた平山城です。(写真左) 写真ではわかりずらいですが、北側には岩井沢が切り込み、南側は合井川に面した絶壁になっています。
西郭(写真左下)
規模は東西180m×南北80mほど、内部はグラウンドに改変され、現在は地震観測所・某放送局を中継基地局が置かれています。西側先端には小社が祀られ(写真右下)、西側斜面に参道が設けられているようです。
東郭・西郭を区画した段差は高さ3−4mほど(写真右)、ま〜〜 常識的に考えて東郭が主郭なのでしょう。
 
東郭(写真左下)
規模は東西200m×南北40ー100mほど、内部はすべて水田になっており、ここも相当改変されているのでしょう。このため遺構らしきものは見られず、東側に見られる高さ10mの城塁線が唯一、見られる遺構と思われます。(写真右下)
とっ、思いきや 東郭の北東部に堀祉?らしき窪地を発見!!。(写真左) 規模は幅15−20m・深さ3mほど、西側の延長線は岩井沢に繋がっていたと思われます。また東側の延長上には堀の痕跡は見られませんが、もし丘陵部とを断ち切った堀だと仮定すると、東西200mにわたる巨大な堀だったと思われます。