椿館
秋田県雄勝郡東成瀬村椿川・椿台
立地・構造
 椿館は成瀬川右岸の河岸段丘上(比高15−20m)に築かれた単郭(?)の崖縁城で、北・西・南側は成瀬川を自然の濠とし、東側の丘陵部は成瀬川に落ち込む南北堀で断ち切って城域を区画していたと推測されます。規模は東西100m×南北150mほど、現在、館祉は一般の宅地・耕作地になっているため遺構等は見られません。なお周辺には城ノ下・館倉・馬乗小路・下段・上段等の館に関したと思われる小字地名が残っています。
歴史・沿革
 築城時期・築城主体ともに不明。伝承によると応永年間頃(1394−1427年)、成瀬川流域を支配した在地勢力岩井川高階氏の一族高階通信がこの地に入部して居住したとも。戦国期、高階氏は小野寺氏の支配下に組み込まれ、以後 椿館は小野寺・葛西領の「境目の城」として機能したと推測されます。文禄4(1595)年、最上義光の雄勝侵攻が開始され、丹与惣左衛門率いる最上勢が成瀬川をさかのぼり田子内城を攻撃すると、岩井川高階氏は田子内治部を支援して最上勢を撃退しましたが、慶長6(1601)年 小野寺氏が改易になると、椿高階氏は帰農したと伝えられます。
椿館  北側からの遠景
メモ
岩井川高階氏の庶流
椿高階氏の居館
形態
崖縁城
別名
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遺構
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場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成23(2011)年5月9日
椿館は成瀬川の浸食により形成された段丘先端に築かれた崖縁城で、北・西・南側は成瀬川に面した断崖(写真左上)、東側の丘陵部は堀で区画されていたと推測されます。現在、堀は残存していませんが、南北に縦貫する車道(村道か?)が堀を踏襲したものと思われ、北側には堀の痕跡らしきものが見られます。(写真右上) 内部は車道に沿って西側に民家が立ち並び、さらにその西側は耕作地になっているようで(写真左)、そのうち一軒の民家の脇には館主高階氏の氏神八幡宮が祀られています。(写真左下) また南側には明確な切岸が見られます。(写真右下)