馬鞍城
秋田県横手市(旧平鹿町)平鹿町馬鞍
立地・構造
 馬鞍城は横手城の南方8.5km、奥羽山脈から西に延びた丘陵先端(標高210m 比高70m)に築かれた山城で、西側に張り出した馬蹄状の尾根を削平して城域としています。城縄張りは頂部を主郭に北西側に二の郭・段郭群が、南西側尾根には堀切を挟んで三の郭が配置され、側面には帯郭が巻かれています。大手は南西麓から三の郭に繋がるコースが想定され、馬蹄状に挟まれた谷地部にも郭があったと考えられます。規模は小さいものの北・南側は急峻な断崖で守備され、南側下には小河川を外濠とした自然の要害に位置します。
歴史・沿革
 馬鞍城は貞治年間(正平年間 1362−1368年)に小野寺氏が平鹿進出の拠点として築いたとされ、城主としては小野寺庶流の馬鞍(小野寺)氏が代々居城していたと伝えられます。天正年間(1573−92年)には関口氏が城主となっていたようですが、文禄5(1596)年、山形城主最上義光の雄勝侵攻で楯岡城主楯岡豊前守満茂に攻略され落城しました。
馬鞍城  遠景
メモ
小野寺氏の庶流 馬鞍氏の館城
形態
山城
別名
 ・・・・・・
遺構
郭・土塁・虎口・堀・水の手?
場所
場所はココです
駐車場
南西麓の広域農道脇
に駐車スペースあり
訪城日 平成16(2004)年4月19日
平成18(2006)11月19日
南西麓の登口
馬鞍城の大手口はこの辺にあったと思われます。少し登ると右側に大手と思われる、三の郭への道があります。
西側斜面
ちょうど馬蹄状地形の谷内部になります。当時は段郭があったと推察されますが、後年の開墾で改変されています。
三の郭方向
写真は北西側から見上げたところです。ちょうど右側の斜面部分が大手筋と想定されます。
濠祉か?
谷地上部にある遺構なのですが、濠かどうかはわかりません。水の手かも・・・・・?
主郭・三の郭間の堀切
馬蹄状丘陵の上部を切り通したもので、主郭・三の郭を分断しています。規模としては幅7−8mほど。
主郭西側の斜面
急斜面に削崖されています。
主郭東側の腰郭
主郭・二の郭の東側を幅10mで40mにわたり帯状に巻いています。主郭とは比高10mほどあります。
主郭
東西40m×南北35m。後方には土塁が築かれ二の郭と区画されています。
仕切り土塁
主郭と二の郭を区画する土塁で高さ3−4m・幅3−5mほど。主郭の北から西側をカバーしています。
二の郭
東西90m×南北20m。直線的に延びた尾根西側は、さらに数段の段郭で処理されています。
三の郭西側の腰郭
東西15m×南北45mあります。三の郭とは2−3mの段差で区画されています。
三の郭
規模は東西45m×南北20mほど 現在は八幡神社(写真右)が祀られています。南西麓から三の郭に繋がる城道(写真左)が大手と推測されます。
横手盆地
城址からは馬鞍城の城下馬鞍地区、さらに横手盆地南部を望むことができます。馬鞍地区は北・南側を山で囲まれた要衝地で、出入り口は横手盆地に繋がる西側のみ 不規則ながら惣構えの形態をしています。