平鹿郡御役屋 長屋門
秋田県横手市(旧平鹿町)平鹿町浅舞字浅舞
 近世初期、秋田に入部した佐竹義宣は慶長19-元和元(1614-15)年に浅舞に農村支配にための陣屋を構え、鷹狩と称しては村々を廻って民政に対処しました。また久保田佐竹藩は当初、村々に所預かりの地頭を配して農村を支配していましたが、寛文年間頃(1661-72年)から藩が行政などを通して直接、農村を支配する藩体制に変化させ、寛文11(1671)年には郡奉行(大身の重臣層)が任命されました。(郡奉行は秋田六郡全体で2名任命) しかし天和3(1683)年、佐竹藩は藩財政の困窮を起因として職制改革を断行し郡奉行制を廃して、新たに代官(中級家臣層)を任命して農村支配体制を整備しました。この間、浅舞の陣屋は天和2(1682)年に御鷹柵が新築されましたが、享保5(1720)年 陣屋として存在する意義がなくなり破却されました。その後も佐竹藩の財政難は続き、寛政7(1795)年 藩主佐竹義和は行政改革の一つとしてふたたび郡奉行制を設置して(領内六郡に各1名配置、初期の郡奉行より強大な権限が与えられた)、平鹿郡奉行には今泉三右衛門が任命されました。平鹿郡内には浅舞のほかに増田と角間川に御役屋が構えられ、浅舞御役屋は寛政11(1799)年6月に普請されたようです。(「寛政十一年己未六月十三日郡奉行今泉三右衛門様 肝煎小松田和兵衛 大工棟梁伝之助、源蔵、宇八」の墨書あり) その後、御役屋は明治維新まで使用されましたが明治初年 焼失し、長屋門のみ類焼を免れて現在地に移築されました。もともと門は東向きに構えられていたようですが、移築の際 南向きに変更されたようです。金属とたん葺の四脚門。昭和56(1981)年、旧平鹿町の有形文化財に指定。  (場所はココです)
 長屋門
 長屋門