碇 ヶ 関
青森県平川市(旧碇ヶ関村)碇ヶ関
概  要
 碇ヶ関は津軽(鹿角)街道と羽州街道が合流し、津軽平野に入る谷口に構えられた関所です。関所は天正14(1586)年、南部氏に対する抑えとして津軽為信により設置され、明治4(1871)年に廃止されるまで津軽領の「表玄関」として機能しました。現在、関所跡は一般の宅地になっていて遺構等は残っていませんが、国道7 碇ヶ関絵図
碇ヶ関絵図(右が北方向)
号に沿って古い羽州街道の街村(宿場町)が残存し、宿場内には桝形が設けられていました。また関所の前面(南側)は平川で遮られ、平川をわたる橋で関所に繋がっていたようです。なお「道の駅関の庄」に関所の高麗門・面番所が復元されています。   (場所はココです)
平川に面した関所跡は現在、住宅地になっていて遺構等はありませんが(写真左上・右上)、遺跡標柱と説明板が設置されています。(写真左) なお写真の道路は旧羽州街道を踏襲したものらしく平川で道路は途切れ、平行して走る国道7号に番所橋と呼ばれる橋が架けられています。
(写真左下) 復元関所高麗門
(写真右下) 復元面番所
藩政期の武具・古文書を展示する資料館になっていて、内部には座敷・上番所・下番所や女改めの間が人形を使用して再現されています。
(写真左上) 米手形 
通称米切手、江戸期 大名・旗本・寺社仏閣が米穀で収納した租税を貨幣に両替するために発行した保証証券(藩札)。
(写真右上) 関所手形
通称通行手形、江戸期 各地の関所・口留番所を通行するため発行されたパスポート。一般に武士階級は藩庁で、庶民は在地の町役人・村役人・菩提寺で発行されました。
 
(写真右) 復元された面番所内部