寺 林 城
岐阜県飛騨市(旧神岡町)神岡町寺林・堀之内
立地・構造
 寺林城は奥飛騨の中山間地、山田川右岸の通称 玄番山(比高70−80m)に築かれた山城で、北東方向に張り出した稜線を城域としています。城の規模は東西200m×南北60mほど、城縄張りは東西に細長い稜線を段差で区画した連郭構造、西側稜線の鞍部を利用した堀切で城域を独立させています。頂部を加工した主郭は東西30m×南北15mほど、主郭の西側には二の郭・三の郭・四の郭が階段状に敷
寺林城 概念図
設され、東側に東郭が設けられています。大手筋は東麓からの稜線を通るルートが想定され、東郭に繋がっていたと思われます。同地は「越中東街道」が通る交通の要衝に位置し、これを見下ろす高所に築かれています。

 築城時期・築城主体ともに不明。伝承によると天文10(1541)年、北飛騨高原郷の有力国衆 江馬常陸介時経の被官 寺林大蔵が高原諏訪城の出城として寺林城を築いたとも。寺林氏の出自は不明ですが、在所名を称していることから この地から発生した開発領主と推測され、後に江馬氏が高原郷に勢力を拡大する過程で江馬氏の支配下に組み込まれた地侍と思われます。城主としては寺林大蔵のほか 寺林蔵之助、寺林玄番の名が伝わっています。
歴史・沿革
寺林城 主郭の城址標柱
メモ
高原諏訪城の支城
形態
山城
別名
玄番城
遺構
郭(平場)・虎口・堀
場所
場所はココです
駐車場
寺林公民館の駐車場借用
訪城日
平成31(2019)年4月17日
寺林城は寺林地区西方の通称 玄番山に築かれた山城です。(写真左上ー南東側からの遠景) でっ、管理人は寺林公民館に車をおいて寺林城にアプローチしました。城山の南東麓に史跡標柱がありましたが ここからは登れず(写真右上)、でっ 北東麓に廻り込んだところ 登口の標柱を発見。管理人はここから登りました。(写真左) がっ、登山道が途中で消滅したため、管理人はここから東側稜線に直登し、稜線を辿って寺林城を目指します。(写真左下) でっ、稜線は比較的 緩傾斜になっていて、傾斜が急になった部分に東郭の虎口が設けられ、ここから城内に入りました。(写真右下) ちなみに東郭からは稜線に対して狙撃できるように設定され、近隣の洞城の形状に似ています。
東郭(写真左上)
規模は東西15m×南北20mほど、東麓からの大手導線を扼する機能があったものと思われます。主郭とは4−5mの段差で画され(写真右上)、北側縁部には主郭へ繋がる導線が設けられていました。
主郭(写真右)
規模は東西30m×南北15mほど、土塁等の城郭パーツは見られませんが、規模以上に広く感じられ、中央に史跡標柱が建てられています。(写真左下) また沢が切り込み 比較的傾斜のゆるやかな南側下には帯郭が1段 敷設されています。(写真右下)
主郭の西側には低い段差で二の郭・三の郭・四の郭が階段状に敷設され、まとまった平場になっています。
 
二の郭(写真左上)
規模は東西30m×南北15mほど、主郭とは1m弱の段差で仕切られています。(写真右上) また南側中央に桝形?虎口が設けられ(写真左)、三の郭に繋がっています。
三の郭(写真左下)
規模は東西25m×南北15mほど、二の郭との段差は1.5−2mほど。(写真右下)

三の郭から3m切り落として(写真左上)、四の郭が設けられています。(写真右上) 規模は東西15m×南北10mほど。
 
城域を独立させた西側稜線の堀切は幅15m・深さ3−4mほど、痩尾根の鞍部を利用したもののようです。(写真左下・右)
 
ー 動画 寺林城を歩く ー