北 条 家 住 宅
新潟県佐渡市(旧金井町)泉乙
 北条家住宅は佐渡国仲平野の中央北部に所在する近世の民家住宅です。北条家はもともと丹波国氷上郡岩龍寺の住職を務めていましたが、寛文3(1663)年 北条道益(賢清)が直訴の罪により佐渡に流罪となり、相川に居住して医業を生業としていました。そして赦免後の宝暦4(1707)年頃、この地に移り住んで代々 道益を称したと伝えられます。住宅の建築時期は不明、18世紀後期の建築建物と推測されています。屋敷敷地はほぼ正方形を呈し、北側中央に母屋が、東側の道路に面して長屋門が建てられています。母屋の規模は桁行九間(約16.4m)×梁間五間半(約10m)、寄棟造の茅葺屋根。内部は西側に狭い土間を設けて後方に板間の「ダイドコロ」、隣接して板間の「オイエ」「ナンド」、東側に畳敷きの「ザシキ」が設けられています。北条家住宅を訪ねた日は遅い時間になったため内部は見学していません。昭和52(1977)年、佐渡の伝統的住建造物として国の重要文化財に指定。   (場所はココです)
 なお南方200mの丘陵突端には中世の城館 立野城があります。

現地説明板の図
 長屋門 
 母屋 
 母屋