穴 沢 氏 の 墓 碑 群
福島県耶麻郡北塩原村檜原
 穴沢氏墓碑群は檜原湖の北西岸、現檜原地区に残る五輪塔群で、もともと檜原湖に沈んだ旧檜原宿にあったものを引き揚げ現在地に移したものです。穴沢氏は越後平賀氏を祖とし、もともと越後国魚沼郡穴沢に居住していたとされます。文明年間(1469−86年)、穴沢越中守俊家は蘆名盛高の命により米沢街道檜原谷の山賊を退治し、この軍功により檜原谷に所領を宛がわれました。永禄7(1564)年、米沢城主伊達輝宗が檜原谷に侵攻すると穴沢加賀守信徳は檜原峠に出陣してこれを撃退しましたが、翌8(1565)年 戸山城が伊達勢の攻撃により陥落寸前になったため、穴沢氏は堂場山に新たに岩山城を築き、伊達勢に備えました。天正12(1584)年、伊達政宗は調略をもって穴沢新右衛門信堅を謀殺、穴沢一族を檜原谷から追い落しました。その後、信堅の嫡子俊次は柏木城に籠り伊達勢と対峙しましたが、同17(1589)年 蘆名義広が「摺上原で戦」で伊達政宗に敗れ会津が伊達領になると、会津から落ち延び、同18(1590)年 会津に蒲生氏郷が入封すると蒲生氏に出仕して檜原に戻ったとされます。   (場所はココです)