蔵 の 町 増 田
秋田県横手市(旧増田町)増田町上町・中町・七日町・本町
 増田町は横手盆地の南東部、成瀬川と皆瀬川が合流し、また近世には仙台伊達領に繋がる「手倉往還」、「小安往還」と「羽州街道」が合流する交通の要衝に位置し、人と物資が集積する在郷村(流通拠点)として成長しました。このため近世より富の集積がなされ、明治以降は生糸や繭・葉タバコ・酒造などを主力商品として増田の町は商業地として繁栄しました。またこの時期、増田商人は共同で増田銀行(現 北都銀行の前身)を創設したほか、増田水力電気会社、増田水力電気会社、吉乃鉱山等を創立させています。増田の商業活動の中心は「中七日町通り」(旧羽州街道)と呼ばれる南北道路で、道路沿いには短冊状に区画された主屋が建てられています。主屋の背面にはこの地方独特の呼称になっている「内蔵」(土蔵)が併設され、この地方の特徴になっています。平成25(2013)年7月、「横手市増田伝統的建造物群保存地区」に指定され、まちなみ景観の保存が後世へ受け継がれていく取り組みがなされています。同年12月、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定。
増田 蔵町通り(中七日町)
日の丸醸造 
創業は元禄2(1698)年、大正2(1913)年の日英大博覧会で1等金牌を受賞。戦時中に一時 廃業しましたが、昭和23(1948)年に復興。通りに西面した主屋は平屋建ての切妻形態、明治期の建築物。主屋の内部南側に「店舗」と「醸造蔵」を繋ぐ「通り」が設けられています。昭和56(1981)年、NHKの朝ドラ「まんさくの花」が横手を舞台にしたことから銘柄「まんさくの花」を発表しブランド化に成功。
日の丸醸造の杉玉
日本酒の造り酒屋などでは新酒が出来ると軒先にの杉玉を吊るす習慣があります
石直商店 
明治16(1883)年、生糸商を営んでいた実家から分家して呉服商を営む。主屋は「蔵の町通り」に面した短冊状の敷地で、木造2階建、妻入り切妻造の鉄板葺。明治中期の呉服商の店舗形態を良好に残しています。昭和43(1968)年に改修。平成21(2009)年、登録有形文化財に指定。
佐藤三十郎家 
江戸末期、「増の井」の醸造元 石田家がこの地で酒造業を営んでいましたが、秋田に転居したのち、初代佐藤三十郎が居住して五十集商(魚の仲買)をはじめたと伝えられます。主屋は棟札より明治20(1887)年の建築物と確認されています。当家の内蔵は梁間7.3m×桁行12.7mとこの地域で最大級の梁間をもつ大型の内蔵で、もともと座敷蔵として造られたもの。
旧村田薬局 
江戸中期、初代善兵衛が伊勢国からこの地に移住して営んだ増田地区最古の薬店舗で、以来15代続きましたが平成15(2003)年 廃業。店舗(主屋)は明治後期ー大正期と推測される建築物で平入れ切妻造の店蔵形態。屋根は昭和30年代まで瓦葺だったことが確認されています。店舗の奥に座敷蔵外蔵があります。
佐藤多三郎家 
佐藤家は近世より地織物の反物を扱う太物商でしたが、昭和初期に廃業し、当時の当主 三郎氏が医院を開業して増田の地域医療に貢献しました。(医院は昭和58年に廃業) 現在の建物は平成19(2007)年、老朽化した診療所を解体して新築したもの。内部に保存された内蔵は明治後期の建築物。
旧松浦家住宅 
「通り」に面した主屋は明治22(1889)年の建造物で木造2階建て、妻入・切妻形態。主屋後方の座敷蔵(内蔵)は明治36(1903)年の建築物で二階建,妻入・切妻造。米蔵は明治23(1890)年の建築物で二階建ての土蔵造、妻入り切妻形態。
中堰 
佐藤又六家 
佐藤又六家は佐藤三十郎家から分家した豪商で、明治中期の当主 又六は増田銀行(現 北都銀行)設立の発起人に名を連ねています。主屋は明治前期の建築物で木造2階建て、妻入り切妻形態の増田地域最古の店(見世)蔵構造。主屋後方の文庫蔵は明治前期の建築物。
山吉肥料店 
「通り」に面した店舗(主屋)は木造2階建て、妻入り切妻造。明治中期の建築物と推定され、昭和初期に改装されたようです。また主屋裏側の内蔵(座敷蔵)は昭和初期の建造物。
旧勇駒酒造 
勇駒酒造は石田久兵衛が宝暦4(1754)年に創業したことから「宝暦蔵」と呼ばれていました。(平成15年 廃業) 店舗裏側の主屋は明治前期の建築物で木造2階建て、入母屋造り。店舗は大正期の建築物で昭和初期に増築。内部の内蔵(「宝暦蔵」)は江戸後期の建築物。
東海林書店 
東海林家は戦国期、増田城主土肥氏の家老職をつとめた家柄で、書店は明治18(1885)年の開業。明治期の建造物と推測される店舗兼主屋は木造2階建て、平入れ入母屋造り。大正期に改築。内部の座敷蔵(内蔵)は明治2(1869)年の建築。
佐藤昆布店 
佐藤昆布店は大正期の創業で、戦後 現在の場所で営業を始めました。店舗兼主屋は比較的 新しい建築物で妻入り切妻造り。内部の内蔵は居住空間としてではなく、もともと物資の収蔵庫を目的としてつくられたようです。
佐々平商店 
店舗兼主屋は木造2階建て、妻入り切妻造り。江戸末期の建築物で大正6(1917)年 改修。
旧石田理吉家 
石田理吉家は文政2(1819)年、石田久兵衛家から分家し、戦前まで酒造業を営んでいました。主屋は昭和12(1937)年の建造物で、木造3階建て、平入れ入母屋造り。内部の座敷蔵(内蔵)は明治14(1881)年の建造物。
旧佐藤與五兵衛家
佐藤與五兵衛家は代々の地主で、「戊辰戦争」では御用金を献納した家柄です。明治中期には増田銀行(現 北都銀行)の設立に尽力し、監査役に就任しました。また大正期には増田勧業社を設立して建設資材を商っていました。主屋は明治後期ー大正期の建築物で木造2階建て、妻入り切妻造り。内部の座敷蔵(内蔵)は棟札より明治12(1879)年の建築と確認されています。
清真苑(佐藤清十郎家別邸) 
清真苑は昭和初期、増田の地主佐藤清十郎家の別邸として建てられました。佐藤清十郎家は明治中期、増田銀行(現 北都銀行)の設立に尽力したひとりです。現在、建物は解体され残っていませんが、建物の基礎と真人山を借景した庭園が残っています。
清真苑 庭園 
円満寺 山門 
満福寺 鐘楼門 
満福寺は貞治年間(1362-67年)、小笠原義冬が増田城築城にあたって、城地の鬼門にあたる北東部に開基した古刹です。永享年間(1429-41年)、小笠原氏が小野寺氏に追われると、増田城には小野寺氏配下の土肥氏が入り,、満福寺は土肥氏の菩提寺となりました。宗派は曹洞宗、御本尊は阿弥陀如来立像。
満福寺 本堂