飯詰城
秋田県仙北郡美郷町(旧仙南村)飯詰
立地・構造
 飯詰城は仙北平野の中央部に屹立した独立小丘陵(標高98m 比高50m)に築かれた丘城で、恒常居館を含む館城と推測されます。頂部の主郭は40m四方の広さがあり現在は神明社が祀られ、北・東・西側に延びた尾根を削平して数段の郭を配置し、裾部は堀切で処理されています。大手は北西麓からの神社参道が想定されます。
歴史・沿革
 築城時期は不明。城主久米氏(野守氏)は南北朝期にこの地に入部した二階堂氏(後の六郷氏)から枝分かれした庶流で、室町・戦国期には神尾・金沢氏等とともに「六郷衆」と呼ばれ、宗家六郷城主六郷氏とともに行動をともにしました。天正18(1590)年の豊臣秀吉の「小田原攻め」に参陣した六郷政乗は所領を安堵され、豊臣政権下の独立した大名として生き残ることに成功し、この「奥州仕置」で久米氏も所領を安堵されたとされます。慶長5(1600)年の「関が原の戦」で六郷政乗は東軍の最上義光に属し、西軍の横手城主小野寺義道を攻撃しましたが、この中に久米氏も含まれていたと考えられます。戦後の久米氏の消息は不明ですが、同7(1602)年に六郷政乗が常陸国府中に移封されたときに同道したものと思われます。
飯詰城  遠景
メモ
「六郷衆」 久米氏の館城 
形態
丘城
別名
 野守館
遺構
郭・堀
場所
場所はココです
通称飯詰山
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年4月19日
飯詰城遠景
仙北平野の中にひょっこり浮かんだ島のようで、周辺各所から見ることができます。
登り口
飯詰山の北麓から神明社参道が整備されています。10分弱で頂上に辿りつきます。
西側尾根の段郭群
飯詰山の北側斜面の参道は西側尾根を通り主郭に繋がっています。この西側尾根には3段の段郭(写真左上・右上)が削平され、末端は急傾斜の切岸(写真左下)と堀切(写真右下)で防御されています。
主郭
40m四方のかなり広い平場で、神明社が祀られています。神社創建時に改変されたのか東側の切岸は消滅しています。主郭の東側には腰郭(写真右)が一段配置されていますが、相当広い郭で実質的な二の郭と考えられます。
北側尾根の段郭群
主郭北側尾根はなだらかな緩斜面になっていて低い段差(写真右)で4−5段の長細い郭(写真左上)に削平され、裾部は堀切(写真左下)で処理されています。