千徳城
岩手県宮古市千徳
立地・構造
 千徳城は閉伊川左岸、閉伊川と近内川に挟まれた丘陵上(比高70m)に位置する平山城で、頂部を主郭に5方向に延びた支尾根に郭が配置されています。主郭の南側には二の郭、北西尾根には三の郭・四の郭が配置され、この部分が千徳城の中枢部になります。二の郭南東側には砦(物見)と思われる郭があり、現在八幡神社が祀られています。千徳城草創期は主郭・二の郭からなる単純な縄張りの城郭と考えられますが、その後三の郭・四の郭を順次拡張されたようです。
歴史・沿革
 元亨4(1324)年に鎌倉幕府から鍬ケ崎・笠間の地頭職を認められた(『鎌倉幕府決裁状』)河北閉伊氏(千徳氏)は笠間館を拠点に閉伊川北岸を支配していましたが、室町中期(14世紀末)に千徳城を築き拠点を移しました。その後、城域は順次拡大されたと考えられます。千徳氏は戦国期に三戸南部氏の家臣団に組み込まれ、一国人領主となり、天正20年(1592)年に城主一戸孫三郎(千徳氏)が朝鮮出兵に出陣した留守中に、千徳城は南部氏により密かに破却されました。(「千徳 山城 破 一戸孫三郎持分 唐之供 留守甲斐守」) その後、千徳氏の消息も途絶え、南部氏の外様領主潰しで改易になったと考えられます。
千徳城  三の郭
 メモ
河北閉伊氏(千徳氏)の館城
 形態
平山城
 別名
・・・・・・・・
 遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日 平成17(2005)年6月23日
南砦
主郭から南方向に延びた尾根先端に位置します。現在、頂部には八幡神社が祀られていますが、往時は物見があったと思われます。この南麓には閉伊川沿いに街道が通り、また閉伊川を挟んだ対岸には同族・田鎖氏の城砦群があり、これを監視する機能が想定されます。
二の郭方向
八幡神社から尾根ずたいに主郭方向に進むと、小規模な堀切をはさんで二の郭に辿り着きます。ただし二の郭は藪がひどく入ることができませんでした。写真は八幡神社側から二の郭を見たところで、左端が二の郭の腰郭になります。
二の郭
主郭側から見たところです。尾根鞍部(写真手前)の小規模な堀切で主郭と分断されています。
主郭の帯郭
主郭の東・北・西側には5−8mの帯郭が巻かれ、急峻な断崖に削崖されています。主郭との切岸は3−4m。
主郭
東西40m×南北70m。ここを中心に5方向の尾根筋に郭が配置されています。東・北・西側に巻かれた帯郭(写真右)は、尾根筋に向かう城道として機能し、尾根筋とは切岸で遮断されています。
主郭・三の郭間の堀切
千徳城でもっとも中世を感じさせる遺構です。幅7−8m・主郭側は堀底から7−8mほどあり完全に壁(写真右)になっています。また堀底は両側から狭められています。
三の郭
東西70m×南北35m。幅5−6mの帯郭が巻かれ、北側尾根は四の郭に繋がっています。主郭との堀切沿いには高さ3mの土塁(土壇・櫓台? 写真右)が築かれています。