桝 形 城
新潟県長岡市(旧越路町)大積高鳥町・桝形山
立地・構造
 桝形城は信濃川流域を見下ろす八石丘陵の一支峰桝形山(標高299m 比高230m)に築かれた山城で、ピークに築かれた主郭を中心に北・東・南西側に分岐した尾根を城域とし、全体規模は東西500m×南北900mほど。主郭は東西10−20m×南北80mほど、北側が細く、南側が若干太い瓢箪型をした平場で、南側に二の郭・三の郭が階段状に配置されています。規模は二の郭が東西80m×南北70m、三の郭が東西30m×南北60mほど、両郭とも段差により南北2段に削平されていたようです。主郭から北側に延びた尾根上にも古城と呼ばれる砦が配置され、主郭・古城間は堀切で遮断されています。大手筋は根小屋に想定される大積高鳥地区からの南西側尾根と推測されます。

 築城時期・築城主体ともに不明。『温古の栞』によると城主は甘粕近江守長重(景持)とされます。甘粕氏は清和源氏 新田氏を祖とし、越後の南朝勢力が没落後 越後国守護職 上杉氏に仕えたと伝えられます。(甘粕氏の出自については諸説ありハッキリしません。同様に甘粕長重以前の甘粕氏の事績も不明。) 戦国期、甘粕長重は長尾景虎(後の上杉謙信)に仕え、永禄3(1560)年の関東出陣、同4(1561)年 鎌倉で執り行われた景虎の関東管領就任式に帯同し、また同年の「川中島の戦」に参陣するなど上杉氏の軍役を担いました。天正6(1578)年、謙信の死去によって勃発した「御館の乱」では喜平次景勝を支持し、同9(1581)年 乱後の恩賞を不服とした新発田重家が叛乱を起すと、新発田勢に対する抑えとして三条嶋ノ城の城将に任ぜられています。慶長3(1598)年、長重は上杉景勝の会津転封に同道し、この際 桝形城は廃城になったと思われます。
歴史・沿革
枡形城 主郭
メモ
上杉氏の被官 甘粕氏の要害
形態
山城
別名
灰毛城
遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
桝形山自然公園駐車場
訪城日
平成21(2009)年9月28日
桝形城は中越長岡と柏崎の境をなす八石丘陵の一支峰桝形山に築かれた山城で、現在は桝形山自然公園として整備されています。(写真左上) 城へは東麓の飯塚地区と南西麓の大積高鳥地区から車道がありますが、案内杭がキッチリされ比較的距離の短い大積高鳥からのルートの方が行き易いと思います。でっ、車道を登りつめると三の郭の駐車場に辿り着きます。(写真右上) 主郭・三の郭間は階段状に郭が構築され、中間の二の郭は東西80m×南北70mほど、平場は段差により南北2段に削平され、北東側は主郭東側をカバーする帯郭になっています。(写真左) でっ、主郭・二の郭間は高さ6−7mの急峻な切岸で区画されています。(写真左下・右下)
主郭(写真左上)
規模は東西10−20m×南北80mほど、北側が細く、南側が若干太い瓢箪型をした平場です。主郭からの眺望は素晴らしく、北東方向には信濃川の沖積平野が広がっています。(写真右上)
主郭から北側に延びた尾根の小ピークには古城と呼ばれる物見砦?が配置されています。この間、痩尾根は堀切で遮断されていたと思われ、幾つか痕跡らしき窪地が見られます。(写真右)
古城(写真左下)
規模は20m四方ほど、北・西側に尾根が分岐し膨らんだ部分は段郭で処理されています。(写真右下)