紫 島 城
秋田県大仙市(旧中仙町)長野字紫嶋
立地・構造
 紫島城は仙北平野の中央北東部、斉内川北岸の平野部に築かれた平城らしいです。現在、城址は一面の耕作地になっているため規模・構造等は不明。基本的には北側の柳田仁井堰と南側の手呂越堰を濠とした平城で、規模は推定東西450m×南北150−160mほど。
 築城時期・築城主体ともに不明。菅江真澄の『月の出羽路』には「小杉山村の館披は雁田沢と鳥井野の村堺の山で昔 長野の紫島の城に阿倍貞任うつり住みて、雁田山に要害をつくり物見したところとあり。」と記されています。(この記事は八乙女城の誤記と推測されていますが・・・・・・・・・) また戦国期には戸沢氏の支配下にあった村地頭長野氏が拠したとも。慶長7(1602)年、佐竹義宣が出羽国久保田に国替えで入封すると、義宣は旧戸沢領長野に一族の北家佐竹又七郎義廉(よしかど)を配し、この際 義廉は紫島城に拠したとされます。義廉は慶長19(1614)年、「大坂の陣」の際 遠江国掛川で病死。跡を継いだ申若丸(義宣の異母弟)は元和7(1621)年、佐竹本家に戻され 北家の家督には義隣(よしちか)(義宣の妹の子)が据えられました。そして明暦2(1656)年、角館領主蘆名氏が改易になると義隣には旧蘆名領が加増され、角館へ移り住み この際 紫島城は廃されたと思われます。
歴史・沿革
紫島城 南側中央に建つ城址標柱
メモ
佐竹北家、
出羽入封当初の居館
形態
平城
別名
・・・・・・・・・
遺構
濠祉(?)
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成28(2016)年10月13日
紫島城は仙北平野の中央北東部、大仙市中仙庁舎の南側にあった平城らしいです。(写真左上) がっ、城址の大部分は耕作地に改変されているため遺構等は残っておらず、「城址標柱」が南側の中央部に建つのみ。(写真右上) 基本的には北の柳田仁井堰と南側の手呂越堰を濠とした近世平城だったようです。(写真左ー柳田仁井堰 写真左下・右下ー手呂越堰) なお紫島城の城下は城の西側に設けられ、内部には佐竹北家の御霊屋が安置される曹渓寺があります。
 
曹渓寺(写真左上ー本堂)
紫島城の西側に位置する寺院。明暦2(1656)年、蘆名氏の改易にともない佐竹北家佐竹義隣(よしちか)角館への移封を命じられます。この際、義隣は佐竹北家の菩提寺常光院を角館へ移築し、先々代義廉の御霊屋を曹渓寺に託して角館に移ったと伝えられます。御霊屋には義廉のものを含め6基の墓石が残り、大仙市の有形文化財に指定されています。(写真右上・右ー外観 左下・右下ー御霊屋の内部)