阿 木 城
岐阜県中津川市(旧阿木邨)阿木字宮ノ前
立地・構造
 阿木城は恵那郡の中山間地、阿木地区にある通称城ヶ峰(標高532m 比高70m)に築かれた山城です。規模は東西200m×南北180mほど、城縄張りは山頂部を加工した主郭を中心に、主郭の周囲に同心円的に帯郭・腰郭群を敷設したシンプルな構造になっていて、稜線の繋がる東・西側稜線を堀切で遮断して城郭を独立させています。主郭の規模は50−55m四方の円形郭、南北に虎口が設けられ、南虎口が大手と推測されます。大手筋は南西麓に想定される「根小屋」(見沢地区)から南側稜線を通るルートが想定され、中腹部分には大手導線を監視・守備する技巧的な導線構造が見られます。阿木城は全体的に規模は小さいものの、山麓の「根小屋」と一体化した「詰城」として取り立てられた城館と思われ、高い切岸を防御主体とした古い形態の城館です。
現地リーフレットの所収図

 築城時期・築城主体ともに不明。通説では室町期(あるいは南北朝期か?)、岩村遠山氏が岩村城の支城として築き安木遠山氏が拠したとされ、また一説には遠山氏初代 景朝の次男 景員の次男 景賢が分家して安木遠山氏を称したとも。永享3(1431)年の『永享以来御番帳』、文安元(1444)年の『交安年中御番帳』、長享元(1487)年の『江州御動座到着』には阿木城主と思われる遠山安木孫太郎の名が見られ、この頃には「遠山七頭」と称される有力国人に成長していたと思われます。天文年間(1532−55年)末期、遠山氏は武田晴信の支配下に組み込まれましたが、元亀3(1572)年 岩村城主遠山景任が死去すると織田信長は自子 御坊丸(のちの織田勝長)を景任の養嗣子として岩村遠山家に送り込みます。同年11月、武田信玄の上洛戦が開始されると恵那郡には秋山虎繁(信友)率いる武田勢が侵攻し、安木遠山氏は遠山一族とともにこれに抗したとされます。(「上村合戦」) さらに天正2(1574)年、武田勝頼の東濃侵攻により「遠山十八支城」と称された苗木・神野・武節・今見・阿寺・馬籠・大井・中津川・鶴居・幸田・瀬戸崎・振田・櫛原・明知の各城は悉く陥落し、串原遠山氏・明照遠山氏・安木遠山氏は滅んだとされ、この後 阿木城は再興されることなく破却されたものと思われます。なお城主として戸田甚左衛門、大藤権允、堀田氏らの名が史料上 伝わっていますが詳細不明。
歴史・沿革
阿木城 大手虎口
メモ
「遠山十八支城」
「遠山七頭」 安木遠山氏の要害
形態
山城
別名
安木城・安城城・堀田の砦
遺構
郭(平場)・土塁・虎口・堀
場所
場所はココです
駐車場
登り口に駐車可能な空地あり
訪城日
平成28(2016)年11月9日
阿木城は恵那郡の南部、阿木地区北側の半独立丘陵ピークに築かれた山城です。(写真左上ー南側からの遠景) でっ、城址へは阿木地区の中心部に案内杭が設置され(写真右上)、林道を道なりに進むと南側中腹の登り口にたどり着きます。(写真左下) 登山道はよく整備された散策路になっていて(写真左下)、たぶん 往時の大手導線だったのでしょう。でっ、登山道を登ること 約5分ほどで大手虎口にたどり着きます。(写真右下) 阿木城は地元の方に大切にされているようで、各所の見どころには説明板が設置されています。素晴らしい!!!。
大手虎口は上部から横矢が掛かる堀底導線になっていて、導線は大きく迂回して南三郭に繋がっています。(写真左上) でっ、導線は南三郭の西側下で竪堀で狭められ(写真右上)、クランクして南三郭に繋がっています。(写真右ー虎口)
 
南三郭の規模は東西30m×南北10−15mほど、東端は東郭に繋がる犬走になっています。(写真左下) さらに北側には3mの段差で南二郭が構築されています。(写真右下) 規模は東西40m×南北10mほど、西側は犬走に加工されています。
(写真左上) 南二郭から主郭方向
 
南一郭は主郭の北ー西ー南側下をカバーした帯郭で規模は幅3−8mほど、主郭とは高さ4−5mの切岸で画され、南側・西側縁部には高さ1mの土塁が部分的に残存しています。(写真右上ー南一郭 写真左ー西側の帯郭 写真左下ー北側の帯郭 写真右下ー南側の土塁)
 
主郭(写真左上)
山頂部を加工した平場で規模は50−55m四方の円形郭。土塁等のパーツは見当たりませんが、北縁、南東縁に虎口が設けられています。(写真右上ー北虎口・搦手 写真右ー南虎口・大手)
(写真左下) 主郭西側稜線の堀切、規模は幅6−7m・深さ3−4mほど。
(写真右下) 東郭、二の郭に相当し規模は東西15m×南北40mほど。北・南側縁部は主郭を囲郭する帯郭に繋がっています。
(写真左上) 主郭東側の切岸、高さ5−6mほど。
 
(写真右上) 東郭から東側斜面は高さ4−5mの切岸で加工され帯郭が1段敷設されています。でっ、この帯郭の北端には竪土塁が構築され(写真左・左下)、外側は大規模な堀切で処理されています。(写真右下) 堀切の規模は幅10m・深さ6−7mほど、北側に延びた堀底は長大な竪堀になっています。
 
(写真左上) 北側の竪堀
 
(写真右上) 東側稜線を断ち切った堀切は二重堀切になっています。でっ、外堀の規模は幅5−6m・深さ3−4mほど、内堀同様 外堀も竪堀をともなったものです。(写真右)
 
動画 阿木城を歩く