苗木遠山家の廟所
岐阜県中津川市苗木
 苗木遠山家廟所(高森御霊屋墓地)は苗木遠山氏の居城苗木城の西麓にある廟所で、元は遠山家の菩提寺 雲林寺の境内にありました。雲林寺は苗木藩の初代藩主 刑部少輔友政が元和元(1615)年、遠山家の菩提寺として創建された臨済宗妙心寺派の寺院でしたが、明治初年の「廃仏毀釈」により廃寺となり現在は堂舎の礎石、遠山家の廟所が残るのみ。現在、廟所には藩初代の友政以下、各代藩主および一族の墓碑が28基 点在し、また隣接した敷地には苗木遠山家家臣団の墓所が設けられています。なお『雲林寺過去帳』が残存しており、墓碑銘と併せて家臣のルーツを知る貴重な資料になっているようです。   (場所はココです
現地説明板の図
苗木遠山家廟所全景 
 
 
 初代 刑部少輔友政の墓碑 (写真左)
 戒名は「雲林寺殿心月宗伝居士」
 
 二代 刑部少輔秀友の墓碑 (写真下) 
 
 
 
三代 信濃守友貞の墓碑 (写真下)
 
四代 和泉守友春の墓碑 (写真右)
 
五代 伊予守友由の墓碑
六代 豊前守友将の墓碑
七代 伊予守友央の墓碑
 
 
 
八代 佐渡守友明の墓碑 (写真左)
 
九代 伊豆守友清の墓碑 (写真下)
 
十代 近江守友随(ともより)の墓碑
十一代 美濃守友寿(ともひさ)の墓碑
 
 
十二代 美濃守友禄(ともよし)の墓碑 (写真下)
 
十三代 子爵友悌の墓碑 (写真右)
 
家臣団の墓所 
御廟所に隣接した家臣団の墓所は江戸期、「卵塔場」と呼ばれていました。
「殉死の跡」碑 
苗木藩五代藩主友由に近侍していた安田太左衛門は、29歳の若さで死去した友由の死を悼み友由の墓前の巨岩で殉死したとされます。
太左衛門の辞世の句 化鳥(けちょう)にて ふる巣にかへる こよひ哉 年は花 こころはつぼみ 身は朽葉」
殉死の跡