小 丸 山 城
石川県七尾市馬出町
立地・構造
 小丸山城は七尾平野の北西部、御祓川河口部の右岸、七尾湾に面した小丘陵(比高20m)に築かれた丘城です。城の規模は東西300m×南北200mほど、城は築城時に開削された御祓川を自然の濠とした本丸、天性丸、宮丸、大念寺山の4つの郭からなります。規模は本丸が東西80m×南北70m、天性丸が東西100m×南北60m、宮丸が東西50m×南北30mほど。(大念寺山は遺構消滅のため不明) 

  天正9(1581)年、織田信長から能登一国を与えられた前田又左衞門利家は能登の旧主 畠山氏の要害 七尾城に入りましたが、七尾城が利便性に欠けていたため七尾湾に面した平野部に新たに新城を築き、翌10(1582)年 完成したのが小丸山城とされます。同年6月、「本

現地説明板の図
能寺」で信長が横死すると、「山崎の戦」後の「清州会議」で羽柴秀吉と柴田勝家は織田家の家督を巡って対立しました。翌11(1583)年、「賤ヶ嶽の戦」で利家は当初 寄親の勝家方に加担しましたが、本戦で柴田軍が敗北を喫し越前に遁走すると、秀吉の「北ノ庄城攻め」に先鋒として参陣して軍功をあげ、戦後 加賀国石川、河北両郡を加増され金沢に拠を移しました。利家が金沢に移った後、小丸山城には能登衆の長九郎左衛門連龍が城代として据えられ、文禄2(1593)年には利家の次男 能登守利政が城主となり、利政は「能登侍従」と称されました。元和2(1616)年、「一国一城令」によりで廃城。
歴史・沿革
小丸山城 主郭に立つ前田利家・まつ像
メモ
前田利家が築いた能登の統治拠点
形態
丘城
 別名
 ・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀
場所
場所はココです
駐車場
小丸山公園駐車場
訪城日
平成18(2006)年7月9日
小丸山城は七尾市街地の西部、御祓川東岸の独立小丘陵に築かれた丘城で、現地の説明板によると四つの郭からなっていたようです。ただし城址は現在、公園整備がなされ、また大念寺山と呼ばれる郭は鉄道建設、市街化により消滅しています。でっ、往時の遺構として平場を除き明瞭に残存しているのが本丸・天性丸間の堀だけなのでしょう。(写真左上)
本丸(写真右上)
規模は東西80m×南北70mほど、内部は公園整備により改変されていますが、櫓祉に城址碑が(写真左)、また小丸山城を築いた前田利家・まつ像が建てられています。(写真左下)
天性丸は堀を挟んで本丸の西側丘陵に位置し、規模は東西100m×南北60mほど。(写真右下)
天性丸の北側には広い平場を挟んで宮丸が設けられています。(写真左上) 宮丸の規模は東西50m×南北30mほど。(写真右上)
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