潟保館
秋田県由利本荘市(旧西目町)西目町潟保
立地・構造
 潟保館は西目平野の南端、西目川右岸の北西方向に張り出した丘陵突端(標高98m 比高80m)に築かれた山城です。城の規模は推定東西150m×南北350mほど、城縄張りは山頂部に構築された本郭を中心に西・北西側稜線に郭を敷設したシンプルな構造になっていたと思われます。本郭の規模は東西50m×南北160mほど、内部は南北の2段構造になっていて(往時、2段構造だったのかは不明)、西側中央に虎口が構えられています。大手筋は南西麓の潟保地区から北西側稜線を辿るコースと思われます。現在、館祉は公園として整備され当時の遺構は改変されています。

 築城時期は不明。『由利十二頭記』によると潟保館は応仁元(1467)年、信濃から入部した海野弥太郎が拠点として築き、潟 保氏を称したとされます。(『由利十二頭記』は信憑性が薄く、潟保氏が由利に入部
したのは南北朝期とする説もあるようです) 天正19(1591)年、豊臣秀吉が発給した所領安堵状に潟保氏の名は見られず、この頃 潟保氏は同じく由利十二頭仁賀保氏の支配下に置かれていたと思われます。慶長5(1600)年の「関ヶ原以の戦」後、由利郡が山形城主最上義光の所領になると潟保氏は由利郡に入部した楯岡満茂の支配下に入り、潟保館はこの頃 廃城になったものと思われます。
歴史・沿革
潟保館 「孔雀館公園」の石碑
メモ
由利十二頭 潟保氏の館城
形態
山城
別名
 孔雀館
遺構
郭(平場)・虎口
場所
場所はココです
孔雀館公園
駐車場
公園西側の水道施設に空地あり
訪城日
平成18(2006)年11月6日
平成25(2013)年5月7日
潟保館は西目平野の南端、潟保地区背後の丘陵上に築かれた山城です。(写真左上ー北西側からの遠景) でっ、館へは北西麓から車道が敷設され、登り詰めると西側の水道施設に辿り着きます。(写真右上) 水道施設のある場所はもともと西側の腰郭と推測され、車道は腰郭を迂回するように設定されています。(写真左・左下) ちなみに本郭の段差は高さ2−3mほど、西側の中央には「孔雀館公園」の石碑が建てられ、その脇に虎口が設けられています。(写真右下)
(写真左上) 「孔雀館公園」の石碑
 
本郭(写真右上)
規模は東西50m×南北160mほど、内部は公園整備されています。でっ、内部は低い段差で南北の2段構造になっていますが、たぶん後世に改変されたものなのでしょう。(写真右上ー北側の上段 写真右ー南側の下段) 北端からは潟保氏の所領だった西目平野が一望にできます。(写真右下)
宗老寺(写真左上)
潟保館の北西麓に位置する潟保氏の菩提寺。天文年間(1532−55年)、潟保弥太郎により創建されたと伝えられ、境内の一画には潟保氏の墓所が設けられています。(写真右上) 潟保一族は楯岡満茂が由利郡に入部した際、楯岡氏に出仕した一族と帰農した一族に分かれていますが、この墓所はどちらのものなのかな〜〜〜?。