祢宜館
秋田県大仙市(旧西仙北町)西仙北町九升田
立地・構造
 祢宜館は仙北平野北西端、雄物川左岸の河岸段丘先端に築かれた平山城で、西・北側は段丘崖で、南側は雄物川の旧河道とされる九升田沼で、東側の丘陵続きは空堀で分断して城域を区画していたと想定されます。現在、館祉は土取りで遺構は消滅し館の痕跡はありません。
歴史・沿革
 築城時期は不明。菅江真澄の『月の出羽路』には「此武塔神社はいにしへ祢宜楯山なんどにありて、そこに天正の頃、阿倍左馬ノ介某といふ人住めり。そは神官たらん、かくて此社を今の地に遷座て阿倍氏もその地に家居て年経、家乏しくなりて・・・・・ 祢宜館の跡には井の有りし処まで今なほ残りて在き阿倍左馬ノ介の後胤として女ながら其正統あり・・・・・」と記され、館主は神官を兼ねた在地土豪阿倍氏とされます。阿倍氏の出自・仔細な事績は不明。江戸期には九升田の肝入を勤めたとされます。
祢宜館  北側からの遠景
メモ
在地土豪 阿倍氏の館城
形態
平山城
別名
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遺構
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場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城
平成20(2008)年6月13日
祢宜館内部
現在、祢宜館は土取りで遺構は完全に消滅しています。 (写真左)西端から東側方向を見たところ。写真の畑も土取り後に開墾されたものなのでしょう。奥に見える切岸状の段差も遺構ではありません。 (写真右)祢宜館の東端?。ここから東側は比高差がなく丘陵が続いていることから、この辺に祢宜館を仕切った空堀?があったと想定されます。(あくまで推測ですが・・・・・)
祢宜館のある仙北平野北西隅は、中世において湊安東VS南部、檜山安東VS戸沢氏が武力衝突を頻発させた地域です。写真は祢宜館から北東方向を見たところですが、ここには雄物川に沿った丘陵部に白岩城・高寺城等の中世城郭が点在しています。 九升田沼
祢宜館の南側には雄物川の旧河道とされる九升田沼があり、祢宜館の自然の濠となっています。