野田氏の墓碑群
岩手県九戸郡野田村野田
 野田氏は鎌倉期、陸奥国糠部郡の地頭職として入部した南部光行の庶長子彦太郎行朝を祖とする一戸南部氏の傍流とされます。(一戸南部氏の出自に関しては諸説あり、ハッキリしませんが・・・・・・・・・) 『参考諸家系図』によると行朝は一戸郷野田に居住し、仁治2(1241)年に死去したとされ、あとを継いだ嫡子摂津守義実は一戸舘に居住して一戸氏を称し、その後 一戸氏は嫡子左近尉信実━嫡子左近尉実朝━南部(三戸)伊予守信長の子伊予守親継(信継)が相続して、康暦年間(1379−80年)の親継(信継)の代に九戸郡野田城(古館)に移り住んだと伝えられます。そして親継のあとは左近尉則親━薩摩守則光━掃部亮行親━源左衛門義親━左近尉義継━薩摩守政義━掃部亮政親と相続され九戸郡の有力国人に成長し、天正19(1591)年 「九戸政実の乱」が勃発すると掃部助政親は南部信直方に加担しています。同20(1592)年の南部大膳大夫分国之内諸城破却書上』には「乙部  山城  破  一戸 掃部助 持分」と記されており、野田城はこの際 破却され、野田氏は三戸へ移住したとされます。   (場所はココです)
 野田氏墓碑群
歴代当主は菩提寺の盛岡聖寿寺に葬られていますが、家臣・領民の礼拝のため、この地にも墓碑が建立されています。
 海蔵院山門
 海蔵院本堂
12世紀創建の曹洞宗の古刹。開基は平重盛、開山は珊光国師と伝えられます。その昔、野田に重盛の二人の子息と珊光国師を乗せた船が漂着したとの言い伝えが残されています。