根 々 井 氏 館
長野県佐久市根々井
立地・構造
 根々井氏館は佐久平の中央部、湯川右岸の微高地(自然堤防)に築かれた平城です。城の規模・構造等は不明ですが、周囲を土塁と堀(濠)で囲まれた城館(方形館?)と推測され、また周囲は湯川氾濫原を利用して要害性を高めていたと思われます。現在、館祉は正法寺の境内、一般の宅地になっています。

 築城時期・築城主体ともに不明。通説では平安末期、滋野氏系海野氏の一族 根々井(ねのい)氏がこの地に入部して築いたとされ、以後 根々井氏は牧馬経営により材を蓄え、佐久の有
力武士団に成長したと伝えられます。源平争乱期の館主 根々井行親(海野幸親)は『保元物語』によると保元2(1157)年に勃発した「保元の乱」では源義朝に従って参陣し、また『源平盛衰記』によると治承4(1180)年 木曽義仲が小県郡依田で挙兵すると嫡子 幸広とともにこれに参加したと伝えられます。しかし幸広は寿永2(1183)年、「水島の戦」で討死にし、また行親も翌3(1184)年 粟津浜で討死にしたとされ、その後 根々井氏の家督は幸広の子幸氏が継承し、幸氏は源頼朝に見いだされて鎌倉御家人に取り立てられたとされます。
歴史・沿革
正法寺境内の根々井行親の供養塔
メモ
滋野氏系海野氏の嫡流
根々井行親の居館
形態
平城
別名
根々井城・根々井館
遺構
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場所
場所はココです
駐車場
正法寺の駐車場借用
訪城日
平成24(2012)年5月4日
根々井氏館は湯川北岸の微高地に築かれた平城で、現在 城址は正法寺境内になっていますが、往時 城は湯川の自然堤防上に位置し、周囲は湯川氾濫原の湿地帯だったと思われます。(写真左上) 正法寺は根々井行親の祈願寺と伝えられ(写真右上)、本堂の北側には行親の妻が建てたとされる供養塔が残存しています。(写真左)