芝 村 陣 屋
奈良県桜井市芝
立地・構造
 芝村陣屋は奈良盆地中央東縁の平野部に築かれた近世陣屋です。規模は東西100m×南北120mほど、周囲を土塀(一部、石垣)で囲った方形館です。内部には藩の政庁施設と藩主の居館が置かれ、周囲には家中屋敷が配置され有事の際の砦になっていたのでしょう。家中屋敷の周囲には濠(堰)が巻かれ、南側には幅15mの濠が現存しています。陣屋に繋がる虎口は北ー西ー南側に設けられ、このうち南門が大手とされます。陣屋祉は現在、織田小学校の校地となり、周囲の道路は往時のものと思われます。

 慶長5(1600)年の「関ヶ原」後、徳川方に加担した織田有楽斎長益は大和国内に32000石の所領を宛がわれます。そして長益は元和元(1615)年、大阪城から退去すると四男長政に1万石を分知し、長政は大和国式上郡戒重に陣屋を構えました。その後、長政の家系は宝永元(1704)年の四代長清の代に陣屋を戒重から芝村へ移すことを幕府に願いで、延享2(1745)年の七代輔宣の代に芝村に陣屋を移しました。そし て芝村織田家は十一代長易(ながやす)の代に明治
維新を迎え、明治6(1873)年の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」により破却。
歴史・沿革
芝村陣屋 南側の濠
メモ
芝村織田藩の政庁陣屋
形態
近世陣屋
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・石垣・土橋・濠・移築城門
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成29(2017)年4月19日
芝村陣屋は三輪山の西麓、芝地区に築かれた近世陣屋で現在は織田小学校の校地になっています。(写真左上ー織田小学校) でっ、陣屋町の道路はほぼ 往時のものと思われ(写真右上ー陣屋政庁南側の東西道路)、また陣屋政庁の南側には石垣が見られます。(写真左・左下) ただ石垣自体は往時の遺構は少ないと思われ、後世の改変あるいは改修があるのかも。でっ、前述した陣屋前の東西道路を西進すると、ちょうど南方向にクランクしたあたりに西門が構えられていたようです。(写真右下)
(写真左上) 大手筋、小さいながら城下(町屋)が形成されていたのでしょう。
陣屋政庁の南側には家臣屋敷地や藩施設が置かれ(写真右上)、陣屋から南北にのびた道路の先には南門が構えられていたようです。(写真右) この門は明治初年の『芝村陣屋図』には「表門」と記されていて、たぶん大手門だったのでしょう。慶田寺の山門は この表門を移築されたものと伝わっています。でっ、表門の前面には幅15mの濠がコ状に穿たれていて陣屋とは土橋で繋がっていたようです。(写真左下) なお陣屋の周囲にも家臣団の屋敷地が置かれ(写真左下)、濠の南西側には武家屋敷の長屋門が残存しています。
(写真左) 長屋門 
 
慶 田 寺(けいでんじ)
正式名称は三輪山慶田寺。宗派は曹洞宗、本尊は十一面観音菩薩像。創建は文明2(1470)年と伝えられます。近世、芝村織田家の菩提寺になり、境内には芝村織田藩歴代藩主の墓所が置かれています。また山門は芝村陣屋表門(南門)を移築したものと伝えられます。
(写真左上) 慶田寺 山門
(写真右上) 慶田寺 本堂
(写真左下) 芝村織田家の墓所
(写真右) 織田有楽斎長益の墓碑
 
 
(写真左上) 初代丹後守長政の墓碑
 
(写真右上) 二代豊前守長定の墓碑
 
(写真左) 四代丹後守長清の墓碑
 
(写真右下) 三代主殿長明の墓碑