瀬田石館
秋田県鹿角市十和田瀬田石
立地・構造
 瀬田石館は米代川右岸の、瀬田石沢と民部沢に挟まれた舌状台地先端(比高20m)に位置する平山城で、頂部を主郭に南側尾根に空堀で区画された小郭(3−4段)を階段状に配置したシンプルな縄張りの城館です。主郭背後の丘陵基部は空堀で分断されています。
歴史・沿革
 築城時期は不明。『鹿角由来集』では「一、瀬田石村、瀬田石太郎左衛門領知本名奈良 其後毛馬内大学領 家来ノ月館隠岐ハ武者奉行仰セ付ケラレ忠ヲ仕リ月館村七百石下サル」と記され、館主(築城主)は鎌倉期に鹿角郡に入部した奈良氏から枝分かれした瀬田石氏と考えられます。戦国期に鹿角郡が南部勢力に侵食され、天文5(1536)年に南部政康の五男秀範が鹿角代官として当麻館に入城すると、瀬田石館も南部氏の属城になったと考えられます。その後、天正16(1588)年の「高水寺城攻め」、同19(1591)年の「九戸の乱」で軍功をあげた月岡隠岐が瀬田石館に居住したとされます。
瀬田石館  遠景
メモ
「鹿角四頭」奈良氏の庶流
瀬田石氏の居館
形態
平山城
別名
・・・・・・・・
遺構
郭・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年5月24日
瀬田石館南麓
瀬田石館は瀬田石沢と民部沢に挟まれた丘陵地に位置し、南麓で両沢は合流します。両沢は自然の濠として機能していたと思われます。
尾根先端
南麓から尾根を直登しました。尾根上には3−4mの切岸で区画された小郭が、階段状に3−4段築かれています。『日本城郭大系』では空堀で区画と記されていますが、空堀は確認できませんでした。
空堀?
写真は主郭直下の郭です。崩落が激しく判断するには無理がありますが、空堀のようにも見えます。
切岸
主郭の東・南・西側は急峻な切岸に削崖されています。写真は主郭南側の小郭と区画した切岸で、高さ4−5mあります。
主郭
東西50m×南北120m。居館を構えるに十分の空間です。と、いうより予想以上に広かった!!!
空堀
主郭背後(北側)はお決まりの空堀で分断されています。幅10m以上・深さ3−4mの大規模な空堀です。
主郭西側
主郭西側斜面には帯状の郭が、2−3段配置されています。この方向には浅利領赤沢に抜ける杣道が通っていたことから、これに対応したものと考えられます。