金子安部太郎の墓碑
秋田県由利本荘市(旧鳥海町)鳥海町上笹子
 金子安部太郎は矢島大井五郎満安の家臣です。天正年間(1573−92年)末期頃、満安は仁賀保氏率いる由利十二頭勢の攻撃を受け、西馬音内城へ逃れましたが、同地で自害を余儀なくされ矢島大井氏は衰退しました。慶長5(1600)年、最上・上杉の軍事緊張が高まると安部太郎は上杉と誼を通じ、矢島旧臣団を率いて仁賀保氏に占拠されていた八森城を奪還します。しかし八森城はふたたび仁賀保氏に奪い返され、このため進退に窮した安部太郎は満安の遺児鶴姫を擁して笹子赤館に立て籠もりました。そして9月12日、討伐軍の攻撃が本格化すると大井勢はこれに頑強反抗します。しかし同月15日、赤館は劣勢を挽回することができず陥落し、大井旧臣団は赤館を捨て四散しました。なお金子安部太郎の墓碑には「慶長五子年 九月十五日」と記されており、安部太郎は赤館が落城した際、自害したものと思われます。   (場所はココです)
 墓碑の刻字