高花館
秋田県雄勝郡羽後町床舞寺沢
立地・構造
 高花館は床舞川の右岸、白山(標高288m)から北西方向に延びた支尾根先端(標高140m 比高50m)に築かれた平山城です。頂部に位置する主郭は30m四方の規模で北側斜面には5−6段の帯状の段郭群が敷設され、一部は東・西側斜面をカバーしています。大手筋は北側斜面と想定され、ここには竪堀が不規則に普請されています。尾根続きの南側は堀切で遮断され、堀底は西側斜面では帯郭と畝堀で、東側斜面は横堀で処理され尾根筋からの侵入を遮断しています。高花館は比高が低く小規模な城砦ですが、段郭・横堀・竪堀と場所によって防御ラインに変化をもたせています。現在、高花館には送電線の鉄塔が建設されていますが、遺構は比較的良好に残存しています。
歴史・沿革
 築城時期・館主ともに不明。高花館のある中世床舞郷は鎌倉期の史料(『中条文書』建治三年四月二十八日の条高井時茂譲状案)にも見られ、小野寺氏と親戚関係にあったとされる鎌倉御家人高井氏(中条氏か? 越後国奥山荘在))の所領とされます。ただし高井氏が床舞に下向することはなく、岩倉氏を床舞に送り込み代官支配したとされます。菅江真澄の『雪の出羽路』には「寺沢村 此地に金峯山東光寺といふ天台の古ル寺有しを、門前村にうつしもてそが跡を寺沢とて村の名に呼ぶ岩倉太夫勝元応永の頃居る古城跡あり、・・・・・」と記され、室町期に在地勢力に成長した岩倉氏が居住したことが記され、この頃には高井氏の支配から離れ小野寺氏に出仕していたと考えられます。現在、床舞には高花館の他に岩倉館が中世城郭としての存在が確認され、どちらが岩倉氏の支配した城郭だったかは不明。小野寺氏の支配時代には由利郡との「境目の城」として監視機能があったと推測されます。
高花館  北側斜面の竪堀
メモ
・・・・・・・・
形態
山城
別名
・・・・・・・・・ 
遺構
郭・虎口・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車(寺沢地区に
駐車スペースあり)
訪城日
平成20(2008)4月20日
高花館遠景
南西側から高花館を見たところ。現在、比高50mの主郭部分には送電線の鉄塔が建設されています。
床舞方向
床舞郷は床舞川に沿って由利郡に繋がる「国境」に位置し、高花館はこの監視機能があったと想定されます。
高花館へは南西麓から鉄塔の保守点検用の山道(写真左)を登るのが手っ取り早いようです。道は途中、二股(写真中)に分岐しますが左方向に進みます。急斜面を登ること約5分弱で主郭背後の堀切(写真右)に辿り着きます。
主郭背後(南側)
主郭背後は堀切で尾根を分断していますが、堀切自体は鉄塔工事のためにほぼ消滅しています。堀底は西側斜面では帯郭に変化し尾根に隣接した部分は畝堀(写真左)で処理しています。また東側斜面では横堀(写真右)を北東端までスロープ状に延ばしています。
北側の虎口郭
管理人は上述の横堀をつたって北側斜面に廻り込みました。高花館の大手筋は北側斜面と想定され、主郭から数段の段郭群で処理されています。この下段部分の郭(写真左上) には虎口が明確に確認できる(写真では虎口はわかりませんが・・・・・)小郭があり、西側は横堀(写真右)から変化した竪堀(写真左下)で区画されています。ま〜一種の枡形構造になっています。北側斜面にはこの竪堀の他に3−4条の竪堀が不規則に普請され、大手筋を守備しています。
北側の段郭群
主郭の北側斜面には幅5−10mの帯状の郭が4−5段普請され、不規則に東・西側斜面に延ばしています。高花館は比高が低いため、段郭とそれにともなう切岸を防御ラインとしています。
主郭
30m四方ほどの規模がありますが、送電線の鉄塔工事で相当改変されていると思われます。北・西側の床舞沿いの小谷を眺望できる要衝地です。(実際は雑木に遮られ眺望は効きません・・・・・)