天 神 山 城
富山県魚津市青柳・天神山
立地・構造
 天神山城は魚津市街地の東方、片貝川と布施川に挟まれ北西方向に延びた低丘陵の突端天神山(松尾山 標高162m 比高80m)に築かれた丘城で、頂部に構築された主郭と主郭西側に普請された2段の腰郭、北・南側斜面に配置された郭群からなります。南側の比高差は80mほどありますが、東・北・西側は低丘陵に包括されているため比高差は40−50mほどと低く、このため城壁部分は急峻に削崖され、北側斜面には竪堀が穿たれ堅固な防御としています。主郭の規模は東西70m×南北30mほど、南側縁部には櫓台と思われる土壇・土塁が確認でき、西側の郭群を加えるとそれなりの平場になります。城からは日本海に面した黒部・魚津方向を見下ろすことができ、基本的には兵を駐屯する軍事拠点として機能したと想定されます。

 築城時期・築城主体ともに不明。通説では戦国期、越中国東部を支配した松倉城主椎名氏が松倉城の支城として築いたと推測されています。永禄3(1560)年、富山城主神保長職の攻撃を受けた椎名康胤を救援するため長尾景虎(後の上杉謙信)は越中に出陣し、この頃 天神山城は越後衆の軍事拠点として整備されたと推測されます。(『上杉家文書』元亀三年の条) 天正10(1582)年、越中東部に侵攻した柴田勝家率いる織田勢が魚津城を包囲した魚津城の戦」では、後詰として出陣した上杉景勝が天神山城に本陣を構えたとされます。しかし魚津城の戦」後、越中は織田勢に制圧され佐々成政の統治下におかれましたが、成政没落後の前田時代に天神山城は廃城になったとされます。
歴史・沿革
天神山城 西側からの遠景
 メモ
松倉城の支城
 形態
丘城
 別名
・・・・・・・・・ 
 遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
魚津市歴史民俗博物館の
駐車場借用
 訪城日
平成15(2005)年9月6日
天神山城は魚津市街地東側の独立丘陵天神山に築かれた丘城で(写真左上)、場所はすぐに特定できます。城址はそこそこ公園として整備され、西側中腹の魚津市歴史民俗博物館を目指すと容易に辿り着けます。管理人は博物館から北側方向に進みましたが、斜面には腰郭(帯郭?)を利用したと思われる車道が通っていて(写真右上)、車道の側面には竪堀らしき窪地が上下に見られ(写真左下・右下)、また城壁は比高差をカバーするため急峻な切岸に加工されています。(写真左)
主郭(写真左上・右上)
規模は東西70m×南北30mほど、内部には送電塔の建設等で相当改変されているようです。南側中央縁部には櫓台と思われる土壇が築かれ(写真右)、さらに東側の延長上には高さ1.5−2mの土塁が残存し(写真左下)、南側を意識した構造になっていたと思われます。また西側には腰郭が2段敷設され、この方向に導線が設けられていたのでしょう。なお訪城当日、雨が酷くなったため、主郭に登ってすぐに退却しましたが、ほかにも城郭遺構が残存しているようです。