根城館
秋田県由利本荘市(旧矢島町)矢島町荒沢
立地・構造
 根城館は矢島盆地の南西部、北側に延びた舌状丘陵(比高60m)先端に位置する平山城で、西側を荒沢川、東側を田沢川が流れ自然の濠としています。根城館は東西1000m×南北600mの広大な城域で、西側の主郭と東側の馬場・東郭(仮称)からなります。大手筋は北側に開き、段郭群を経て東郭(仮称)に至るコースが設定されています。主郭北から西側には二重空堀が穿たれ大手筋を防御し、また大手虎口・馬場郭虎口は石積で築かれています。矢島・鳥海地域では石積遺構が確認できる城館は少なくないようですが、この技術がどこから伝播してきたかは不明です。根城館は比高60mと比較的低い城館ですが、東側の緩斜面には二重横堀と畝状竪堀が配置され遮断線となっています。馬場南縁には土塁と空堀が廻り本郭域南側を防御しています。さらに南側の丘陵鞍部には家臣屋敷地が配置され有事の際の砦として機能していたと考えられます。根城館は要害堅固な地に築城した城館ではないものの、由利郡の城館の中では大規模な普請のなされた城館と考えられます。   (根城館図
歴史・沿革
 根城館は『由利十二頭記』によると応仁年間(1467−69年)にこの地に入部した由利十二頭の大井義久が築いたとされますが、大井氏の出自については不明な点が多く、『由利十二頭記』『奥羽永慶軍記』等の記載は鵜呑みにはできないようです。一説では鎌倉初期に由利郡の地頭由利惟久が「和田合戦」に連座し改易となり、源頼朝の側室大弐局の甥大井朝光に由利地頭職が譲られたと『吾妻鏡』に見られ、大井朝光の一族・庶流がこの地に入部し、勢力を拡大する過程で築いたとされます。また応仁年間に室町幕府が信濃国守護職の小笠原一族を奥羽に派遣し、一族が由利郡に土着し築いたとされます。いずれにせよ、信濃から小笠原氏一族が由利郡に入部し枝別れした由利十二頭の一家が大井氏とされます。戦国末期の大井氏当主は四代満安で、他の由利十二頭とは反目していたようです。この時期、由利郡南部の由利十二頭の旗頭は山根館主仁賀保氏ですが、大井氏は仁賀保氏と何度か戦闘を繰り広げ、仁賀保氏当主を二代までも討死させました。天正年間(1573−92年)に満安は滝沢氏と武力衝突し、最上氏のもとに滝沢氏を追い落とすとともに、西馬音内城主小野寺茂道の娘を娶り、由利十二頭との対決姿勢を鮮明にしました。その後、満安は最上氏と結んだ由利十二頭連合軍に圧迫され、新荘館に本拠を移しますが、ここも危うくなると荒倉館に立て籠もり抵抗します。しかし最後は西馬音内城に落ち延び、ここで自害しました。根城館のその後の消息は不明ですが、大井氏以降矢島を領した楯岡氏・本多氏・打越氏・生駒氏は八森城を矢島支配の拠点としていたことから、満安が仁賀保氏に圧迫され新荘館に移った頃に廃城になったと考えられます。
根城館  北東側からの遠景
メモ
由利十二頭最大勢力
大井氏の館城 
形態
平山城
別名
・・・・・ 
遺構
郭・土塁・虎口・石積?・
横堀・畝状竪堀群
場所
場所はココです
荒沢地区背後の丘陵
駐車場
館祉南側に駐車
スペースあり
訪城日
平成18(2006)年4月19日
平成18(2006)年12月26日
大手道
大手は北麓からの緩斜面から繋がっていたと想定され、大手筋には数段にわたり郭(写真右上)が配置されています。 (写真右上)主郭を望んだところですが、前面の帯郭状に削平されている箇所は二重横堀になっています。
主郭北側の二重横堀
主郭の北から北西側には幅3−4mの横堀が二重に配置されています。下から見ると帯郭に見えたのですが・・・・・
大手虎口付近
大手虎口は枡形状に左折して東郭(仮称)に繋がっています。崩落石塁が散らばっていることから石積で補強されていた可能性があります。
東郭
東西120m×南北40m。根城館の北端に位置し実質的な二の郭と想定されます。北東端には分厚い土塁(土壇)があり、大井氏創建の八幡神社(写真右下)が祀られています。
北東側斜面
根城館の北東側斜面には2段にわたり横堀(写真左上)が穿たれ、下段の横堀からは十数本の畝状竪堀(写真右上)が斜面に穿たれています。北東側斜面は比較的緩斜面になっているために配置されたと考えられます。
馬場郭虎口
東郭(仮称)西縁を進むと馬場虎口に出ます。ここは石積の平虎口だったようです。
馬場・東郭(仮称)段差の石積
根城館東側は馬場・東郭(仮称)で二段に削平されています。段の切岸部分には石積が細見できますが、土留用の石積と考えられます。
馬場
東西130m×南北80m。南縁には高さ3−4m・幅3mの土塁(写真右下)が東西100mにわたり築かれています。
搦手虎口
馬場郭南側に開いた虎口で搦手口と考えられます。ここから南側には家臣屋敷地が配置されています。
空堀
南縁土塁の外側(南側)には空堀があったと想定されますが、完全に消滅しています。写真は南東隅にかすかに残った空堀です。
主郭
東西90m×南北140m。内部は南北に低い段差(写真右上)で3段に削平されています。主郭の北・西側は急峻な断崖に削崖(写真左下)され、下には二重横堀が配置されています。
根城館近景
南側から根城館を見たところです。写真左側が主郭、右側が馬場郭になります。前面の丘陵鞍部(耕作地)は家臣屋敷と伝えられます。