大鳥井の柵
秋田県横手市大鳥町
立地・構造
 大鳥井山遺跡(大鳥井の柵)は横手盆地の中央東端、横手川右岸の丘陵上(比高20m)に築かれた古代城柵です。規模は東西200m×南北500mほど、内部は南西端の大鳥井山を最高所に、中央西縁の小吉山を防塁として取り立てた巨大な城柵です。昭和52(1977)年から同58(1983)年まで運動公園整備のための発掘調査が行なわれ、内部からは外周をカバーした二重堀や柵列、掘立柱建物祉、竪穴式住居が確認されています。また出土した遺物は11−12世紀と想定される土師器・須恵器で、
現地説明板の図
中世には使用されなかったのでしょう。なお大鳥井山遺跡の北東側には旧羽州街道を挟んで「台所館」と呼ばれる高台があり、大鳥井山遺跡に関連した遺跡と推測されています。
歴史・沿革
 築城時期・築城主体ともに不明。『陸奥話記』(「前九年の役」に関した軍記物、成立は11世紀末期頃か?)には「光頼子大鳥太郎頼遠」の名が見られ、また『正平寺記録』には大鳥山(大鳥井山)は清原武則の兄光頼とその子大鳥太郎頼遠の居城であると記されています。清原光頼は「前九年の役」(1051−62年)で源頼義・義家父子が苦境に陥った際、源氏を救援して勝利に導いた出羽の俘囚長とされ、子の頼遠は「後三年の役」(1083−87年)で源義家に滅ぼされたと伝えられます。また「後三年の役」後の寛治元(1087)年、藤原清衡の次男正衡がこの地に入部したとも伝えられます。
大鳥井の柵  南側からの遠景
メモ
出羽の俘囚長 清原氏の城柵?
形態
古代城柵(平山城?)
別名
大鳥柵・関根柵・大鳥井山遺跡
遺構
郭(平場)・土塁・堀・土橋・柵列祉・竪穴式住居址・掘立柱建物祉
場所
場所はココです
駐車場
大鳥公園駐車場
訪城日
平成25(2013)年6月26日
大鳥山遺跡は横手市街地の北部、横手川東岸の小高い段丘上に築かれた古代城柵と推測されています。(写真左上ー南側からの遠景) でっ、現在 遺跡は大鳥公園となっていて、大部分が運動公園に改変されているため、遺構の大部分は埋め戻されています。管理人は南東側の駐車場に車を置き、まずは大鳥井山を目指しました。途中の稜線には「十三塚」と呼ばれる塚がありますが、詳細は不明。(写真右上)
大鳥井山(写真左・左下・右下)
城内最高所に位置し、現在 大鳥井山神社が祀られています。内部からは四間×七間の大型の掘立柱建物祉や柵列祉が確認されています。また神社の東側からは二重の大溝が確認されています。
(写真左上) 大鳥井山神社東側の二重大溝祉
大鳥井山東部遺跡(写真右上・右)
大鳥井山の北から北東側斜面には高低差のある二重堀が敷設されています。規模は幅4−5m・深さ2mほど、往時は山裾を一巡していたと推測されています。
火葬塚(写真左下)
小吉山の南端ピークにあります。昭和3(1928)年、石棺と人骨が出土したため、この名称で呼ばれています。
小吉山北部遺跡(写真右下)
公園整備により遺構は消滅していますが、北側縁から二重大溝が確認されています。



小吉山東部遺跡(写真左・右上)
小吉山の東側にある広大な平場。たぶん、ここに清原氏の居館が構えられていたのでしょう。東側縁部からは二重の堀と土塁、柵列祉が確認され(写真左下ー現地説明板の写真 写真右下)、外堀には土橋が架けられていたようです。また内部からは一間×一間、一間×二間の小規模な掘立柱建物祉が確認されています。現在、内部は運動公園になっているため遺構はありません。