山崎館
秋田県由利本荘市(旧由利町)東鮎川字山崎
立地・構造
 山崎館は鮎川右岸の丘陵ピーク(標高133m 比高110m)に位置する山城で、ピークを主郭に2−3段の腰郭から構成されていたようです。南側の丘陵基部は堀切で分断され城域を区画していたようですが、城域は狭小で居住には適さないように感じられます。ここはあくまで「詰の城」「監視施設」として機能していたのではないでしょうか。山崎館の西側には蒲田館と呼ばれる城砦があり、ここも要害のようですが居住性は薄いと考えられます。山崎館と蒲田館は一種の一城別郭のように機能していたのではないでしょうか。つまり、「根小屋」(鮎川氏館)・「要害」(蒲田館)・「詰の城」(山崎館)と三館で連繋していたように考えられます。
歴史・沿革
 築城時期は不明。館主は由利十二頭・鮎川氏です。鮎川氏の出自については、他の十二頭と同じく室町期に由利郡に入部した信濃小笠原氏と伝えられますが、?です。戦国期の鮎川氏は由利十二頭と一揆して由利郡を支配し、外敵と対峙・離散集合していたようです。鮎川氏は庄内の尾浦城主武藤(大宝寺)氏に近い存在と考えられ、天正10(1582)年の武藤義氏の由利郡侵攻に加担したようですが、武藤氏は「荒沢館合戦」で檜山城主安東愛季の支援を受けた小助川氏に敗れ退却を余儀なくされました。また文禄元(1592)年の「荒倉合戦」では山根館主仁賀保氏に味方し、矢島根城館主大井満安を西馬音内城に追い落としました。(管理人は「荒倉館合戦」は天正16−1588年と考えていますが・・・・・・・・) 天正18(1590)年の豊臣秀吉の「小田原攻め」には他の由利十二頭とともに参陣し所領を安堵されたようですが、その後鮎川氏の消息は不明になります。豊臣政権の由利十二頭再編成の中で改易になったと思われます。
山崎館  遠景
メモ
由利十二頭 鮎川氏の「詰の城」
形態
山城
別名
・・・・・・・・ 
遺構
郭・堀
場所
場所はココです
管理人は蒲田館から
尾根ずたいに訪城しました
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年1月25日
山崎館遠景
西側から山崎館を見たところです。山崎館(左)へは蒲田館(右)から痩尾根で繋がっています。
山崎館近景
写真は八幡神社付近から山崎館を見上げたところです。ここから比高70mほどあります。
尾根道
蒲田館からは痩尾根をアップダウンしながら進みます。途中、堀切状の地形箇所(写真右)もありますが、比高30mほどの歩きやすい道です。
主郭
東西30m×南北50m。南北に1−1.5mの段差で2段に削平されています。北・東側は緩斜面に数段の郭が配置され、西側(大手筋)は痩尾根に対して3−4mの切岸(写真左下)で削崖されています。内部南側には小祠(写真右)が祀られています。
堀切
主郭南側は丘陵基部と尾根で繋がっていますが、ここには堀切が配置され遮断されています。
瑞光寺
山崎館・蒲田館から鮎川を挟んだ西側に位置する鮎川氏の菩提寺です。
蒲 田 館