由利仲八郎政春の墓所
秋田県由利本荘市(旧由利町)川西
歴史・沿革
 由利氏は平安末期、奥州藤原氏に出仕した地方豪族のひとつで、文治5(1189)年 源頼朝が奥州征伐をした際の当主由利維平は藤原氏方に加担しましたが、鎌倉勢に敗れ生け捕りにされました。後に維平は赦免され鎌倉御家人となりましたが、子の維久は建暦3(1213)年に起こった「和田義盛の乱」に関与したかどにより由利氏は所領を没収され、由利氏領は大弐局に与えられました。その後の鎌倉末期、由利氏の末裔を称する由利仲八郎政春が浜館を拠点に勢力を扶植しましたが、応長元(1311)年 浜館栗山館主鳥海弥三郎の攻撃を受けて陥落し、政春は鳴瀬館に移り、さらに正和4(1316)年 根代館に拠点を移しました。しかし正中元(1324)年、根代館は鳥海勢の攻撃を受けて落城し、政春は自害したと伝えられます。  (場所はココです)
  • 鎌倉末期の由利氏・鳥海氏の抗争については『由利十二頭記』『奥羽永慶軍記』の内容が流布したものが主流となっており、信憑性は極めて薄いと思われますが、モチーフとなった人物あるいは事象はあったのでしょう。
由利政春の墓碑は土中に埋もれていたものを掘り起こし、茅葺き堂の中に八幡祠として祀られていたが、昭和14(1939)年 当時の西滝沢村によって整備され、現在に至る。(「現地説明板」より) 現地へは国道108号沿いに「由利仲八郎政春終焉の地」の誘導杭が設置されていて、誘導杭通りに進むと辿り着けます。墓碑の刻字は「由利忠八郎 根城領主 法誉源中居士 正中元甲子年三月二十四日建立」
由利正通子爵手植えの松(写真左)
子爵家由利家は中世由利氏の末裔を称しています。