宮田館
山形県飽海郡遊佐町宮田字堀ノ内
立地・構造
 宮田館は庄内平野北部の微高地に築かれた平城です。現在、館祉を南北に縦貫して月光川が北流し、このため館祉の大部分は破壊されていますが、月光川右岸(東岸)には「古楯」「木戸口」の字名が、左岩(西岸)には「堀ノ内」の字名が残っています。「堀ノ内」地区からは発掘調査で西から東側に折れたL字状の堀が確認され、館の規模は推定90−110m四方ほど、堀で囲郭した典型的な方形館と推測されます。

 築城時期・築城主体ともに不明。当初の館主は土門氏とも。その後、戦国期には大宝寺武藤氏の支配下にあった斎藤氏が在城したと伝えられ、近世 斎藤氏は帰農したとされます。
歴史・沿革
宮田館  西側の堀祉(北側から)
メモ
・・・・・・・・・
形態
平城(方形館か?)
別名
宮田楯
遺構
堀祉
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成25(2013)年11月17日
宮田館は庄内平野の北部、宮田地区西側にあった平城だったようですが、現在 月光川が館祉の中央部を縦貫し、このため規模・構造ともに不明瞭になっています。(写真左上ー南側からの遠景) 平成3(1991)年、「堀ノ内」地区の発掘調査により西から南側に折れたL字状の堀が検出され、ま〜〜〜〜 単郭の方形館だろうと推測されます。(写真右上ー西側の堀祉 写真左ー西側の堀祉) 堀の南北規模から推測して館の規模は90−110m四方ほどか?。なお月光川の右岸側に古楯、木戸口の地名が残り、現在は長照寺の境内・住宅地になっています。(写真左下ー長照寺 写真右下ー長照川から西方向を眺望) なお館祉の北西端には五輪塔がありますが館との関連は不明。
(写真右) 五輪塔