古内城
秋田県横手市(旧十文字町)十文字町佐賀会
立地・構造
 古内城は横手盆地の中央南部、皆瀬川北岸の微高地に築かれた単郭?の方形館?と想定されています。現在、城域は古内地区の宅地化で消滅し、このため規模・構造等は不明。基本的には八木城同様、増田城の機能補完した支城と推測されます。
歴史・沿革
 古内城は大永年間(1521−27年)、増田城主土肥頼景が築城し、女婿の土肥勝頼を城主として据えたと伝えられます。その後、古内土肥氏は古内氏を称したと推測され、『奥羽永慶軍記』では文禄4(1595)年の小野寺・最上軍による「岩崎城攻防戦」に古内多左衛門、太郎左衛門、百介の名が記されています。
古内城  城址碑
メモ
増田土肥氏の支城
形態
平城(方形館か?)
別名
前田城 
遺構
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場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成20(2008)年5月16日
古内城は皆瀬川北岸の微高地に築かれた平城で、現在は古内地区に包括され、城の範囲・規模・構造等は不明瞭になっています。(写真左上ー岩崎城からの遠景 写真右上ー南東側からの遠景・宅地と耕作地の間にかすかな段差があるような〜〜〜〜 写真左ー古内市街地) 管理人が周囲を徘徊したところ古内地区の北縁には濠祉を推測させる水路が走っり(写真左下)、また東側にも用水路が見られます。(写真右下) なお小野寺・最上が対峙した「岩崎城争奪戦」では古内城が小野寺軍の前線基地になっていたと想定されます。
(写真右) 古内地区から東方を見たところ。こうしてみると「謎の城」新城山館は小野寺配下の増田・十文字勢力の「詰の城」として築かれたようにも感じられます。