栗 村 館
福島県河沼郡会津坂下町館の内甲
立地・構造
 栗村館は会津盆地の中央西寄り、阿賀川左岸の平野部に築かれた平城です。館祉は現在の曹洞宗 定林寺境内に想定され、規模は推定東西110−120m×南北100mほど。土塁と堀(濠)で囲郭された典型的な方形館と推測されますが、遺構は消滅しています。

 築城時期は不明。築城主体・館主は栗村氏と伝えられます。栗村氏は鎌倉初期、会津に入部した相模三浦一族の佐原十郎義連の嫡子 盛連を祖とし、盛連の三男 盛義が藤倉に所領を宛がわれて藤倉氏を称します。そして盛義の子 盛経の代に七之宮に所領を得て七之宮氏を称したと伝えられます。その後、盛経の家系と推測される弾正盛俊が永仁4(1296)年、七之宮から栗村に拠点を移して居館(栗村館)を築き、栗村氏を称したとされます。後に栗村氏は会津蘆名氏の支配下に組み込まれ、天正18(1589)年 蘆
名主計頭義広が「摺上原の戦」で伊達政宗に敗れて蘆名氏が没落するまで栗村館に拠していたものと思われます。(栗村氏については中世を通じて栗村館には居住せず、のちに栗村館から「弾正ヶ原」に移ったとする説もあるようです) なお栗村氏の事績としては水利の悪い この地に「栗村堰」を開削したことが有名だそうです。
歴史・沿革
栗村館 栗村弾正の墓碑
メモ
藤倉佐原氏の庶流 栗村氏の居館
形態
平城
別名
笠松館
遺構
・・・・・・・・・
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成29(2017)年11月10日
栗村館はJR磐越西線 会津坂下駅から北西700mにある曹洞宗 定林寺の境内を城域とした中世の平城(方形館)らしいです。(写真左上ー南側からの近景 写真右上ー定林寺山門 写真左ー定林寺本堂) 基本的には濠と土塁で囲郭された典型的な方形館と推測されますが ・・・・・・・・・・、遺構はほぼ100%消滅しています。でっ、境内西側には栗村稲荷の祠が祀られ(写真左下)、墓地内には「栗村弾正の墓」が安置されています。


(写真右) 栗村弾正の墓碑
墓石には「定林寺殿一麟統公腰居士」「本了院殿大峻性休居士」という戒名が刻まれていますが、栗村氏は弾正を代々 私称しており、実際のところ 誰の墓碑なのかは不明なのでしょう。


栗村館の規模・城域は不明、定林寺境内を館に想定すると東西南北の道路が館の縁部になるのでしょう。
(写真左上) 北側縁部
(写真右上) 東側縁部
(写真左) 南側縁部