羽 川 古 館
秋田県秋田市下浜羽川字古館・串気沢
立地・構造
 羽川古館は鮎川下流域の左岸、東から北西方向に張り出した丘陵突端(比高30m)に築かれた平山城で、東側の丘陵続きを堀で断ち切って城域を独立させています。城の規模は東西200m×南北150mほど、内部は大き
羽川古館 概念図
くは堀で仕切られた東西の2郭とこれに付随した郭群からなります。規模は西郭が20−25m四方、東郭が東西45m×南北20mほど。西郭は物見・監視の性格をもつ郭、東郭が恒常的な日常居館と推測されます。城の構造は稜線を加工し、高い切岸を防御主体とした古い形態の城館になっています。同地は鮎川沿いの狭い狭隘地を望む高所に位置しており、基本的には開発領主の日常居館として築かれたものと思われます。

 築城時期・築城主体ともに不明。一説に応永年間(1394−1428年)頃、この地に入部した新田義貞の一族(越後新田氏、羽根川氏か?)羽川氏により築かれたとも。その後、羽川氏は戦国期 南西1kmに羽川新館を築いて移り住み、この際 古館は廃城になったものと思われます。
歴史・沿革
羽川古館 東郭
メモ
「由利十二頭」 羽川氏の入部当初の館城
形態
平山城
別名
 ・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・土塁・櫓台?・虎口・堀・水の手?
場所
場所はココです
駐車場
県道240号沿いに路上駐車(空地あり)
訪城日
平成18(2006)年10月22日 平成26(2014)年4月22日
羽川古館は下浜羽川地区の南東部、東から北西方向に張り出した丘陵突端に築かれた平山城です。(写真左上ー南西側からの遠景) でっ、城の北⇒西側に鮎川が流れ、管理人は北西麓からアプローチしました。(写真右上) 西側斜面は高さ15−20mの断崖になっていますが(写真左)、攀じ登り切ると先端部分の平場に辿り着きます。(写真左下) 平場の規模は東西15−35m×南北60mほど、北・東側は高さ5−6mの切岸で上位郭と区画されています。(写真右下)
城の西側は大きくは西郭から北西・南西に延びた稜線を加工した郭群と前記した鞍部状郭からなります。規模は北西郭が東西40m×南北15−20m(写真左上)、南西郭が東西25m×南北15mほど(写真右上)、両郭ともに先端は段郭群に加工され、南西郭の東縁に幅5m×長さ10m×高さ1−1.5mの土塁(土壇?)が築かれています。(写真右)
西郭(写真左下) 規模は20−25m四方ほど、北東部の高台(櫓台?)を帯郭で巻く簡素な構造になっています。(写真右下ー西側の帯郭)
西郭・東郭間を分断した堀は幅5−6m×深さ3−4mほど、堀底は西郭・東郭の北・南側の帯郭に連続しています。(写真左上)
東郭(写真右上) 規模は東西45m×南北20mほど、内部は藪が酷いですがよく加工されています。たぶんこの郭が日常居館が構えられていた郭だったのでしょう。でっ、北・南側下に幅3m前後の帯郭が敷設され(写真左)、東側に1.5mの段差で仕切られた(写真左下)副郭が設けられています。(写真右下) 副郭の規模は東西35m×南北35mほど。
東郭の東縁に天幅3m×長さ15m×高さ1.5mの土塁が築かれ(写真左上)、外側(東側)は幅10m×深さ2mの堀で遮断されています。(写真右上) でっ、土塁の北側に堀に繋がる導線が設けられており、ここに虎口が構えられていたのでしょう。
西郭・東郭の北側斜面は不規則な段郭群に加工され、各郭間は最大5mの切岸で区画されています。(写真右・左下・右下) でっ、最下段の郭が最大規模の平場になっていて、東縁に幅7−8m×高さ1−1.5mの土塁(土壇)が築かれています。
東側の土塁(土壇) 東郭北側下の窪地・水の手か?
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