岩 城 館
秋田県秋田市下新城岩城
立地・構造
 岩城館は秋田平野の北部、新城川左岸の北西方向に張り出した丘陵(比高70m)上に築かれた丘城です。規模は東西350m×南北450mほど、城縄張りは頂部に敷設された主郭、二の郭と大手筋が想定される北側稜線を加工した段郭群からなる連郭構造で構築され、尾根筋は複数の堀切で遮断されているようです。規模は主郭が東西50m×南北30m、二の郭が120m×南北110mほど。同地は秋田平野北部を眺望できる高所に位置します。

 岩城館は貞和年間(1345−49年)年、この地の在地領主 新城右衛門太夫により築かれたのが初源とされます。新城氏の出自・事績は不明、室町期に没落したようです。その後、戦国期の弘治3(1557)年 檜山城主 安東愛季の攻撃を受けるまで佐藤出羽守綱吉が城主だったと伝えられます。この後、岩城右衛門太夫康信が城主となりましたが、天正16(1588)年の「第二次 湊騒動」(安東氏の内訌)で岩城氏が湊安東高季方に加担したため、岩城館檜山安東勢の攻撃を受け落城し、ほどなく廃城になったものと思われます。
歴史・沿革
岩城館 遠景
メモ
湊安東氏配下の国衆 岩城氏の館城
形態
丘城
別名
・・・・・・・・・ 
遺構
郭(平場)・堀
場所
場所はココです
駐車場
登り口に路上駐車
訪城日
平成17(2005)年6月15日 平成18(2006)年9月13日
岩城館は下新城岩城地区背後の丘陵上に築かれた丘城で、東ー北麓を流れる新城川を自然の濠としています。(写真左上) でっ、城へは北麓に設置された「菅江真澄の道」標柱から山道が設けられています。(写真右上) 山道は新城神社の参道として敷設されたもので往時の大手筋ではないようですが、大手筋が想定される北側稜線の西側側面に敷設され(写真左)、稜線上は複数の段郭に加工されているようです。(写真左下) また稜線は複数の堀で遮断されているようです。(写真右下)
(写真左上) 北側稜線の堀切
二の郭(写真右上) 規模は東西120m×南北120mほど、内部は2段に加工され、北東隅に新城神社が祀られています。(写真右) でっ、主郭とは幅15−20mの堀で遮断され、主郭側は4−5mの切岸が削崖されています。(写真左下・右下)
主郭
規模は東西50m×南北30mほど、南側に堀切があるようですが未確認。
福城寺
岩城氏の菩提寺。岩城館の北西麓に位置します。
秋田の中世を歩く