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秋田城は秋田市街地の北西部、高清水の丘に築かれた古代官衙施設です。(写真左上ー東側からの近景 写真右上ー東側の谷地) でっ、管理人は東側の鵜ノ木地区に行き、ここから政庁域を目指しました。鵜ノ木地区には外郭東門に通じる大路が復元され(写真左)、周囲に発掘調査から確認された大小の建物祉、井戸祉、厠屋等が復元・表示されています。(写真左下・右下) なお奈良期、渤海国からの使節がたびたび出羽に来着しており、鵜ノ木地区にある大型建物は迎賓館機能が想定されているようです。 |
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(写真左上) 復元された竪穴式住居 |
(写真右上) 井戸祉 |
(写真右) 大型の井戸祉 |
(写真左下・右下) 復元された厠屋、掘立柱建物で建てられた厠屋内部は3つの個室になっていて、排泄した汚物は木樋を通って背後の沼地に排水する構造になっていたようです。この際、沼の汚染を少なくするため、沼の手前に沈殿槽を設けて上澄みだけを沼に流すよう工夫されています。 |
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外郭部分は東西550m×南北550mの不整方形、内部は広範囲にわたり、現在 護国神社の境内や一般の住宅地になっています。でっ、遺構として外郭東門とこれに連なる築地塀が復元されています。(写真左上・右上) 築地塀は基底幅2m×高さ3m以上。鵜ノ木地区からの大路(幅10m)は外郭内部を東西に貫き(写真左)、政庁域の東門に繋がっています。(写真左下) |
(写真右下) 政庁域の模型、正面が南側 |
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政庁域の規模は東西90m×南北80mほど、周囲を築地塀で囲った方形になっていて、各辺の中央に門が構えられていました。でっ、現在 東門とこれに隣接した築地塀が復元されています。(写真左上・右上)
発掘調査から中央部に正殿が確認され、正殿の南側にコの字状に西脇殿・東脇殿が、正殿の北側に北東建物が確認され平面表示されています。(写真右ー正殿
写真左下ー東脇殿 写真右下ー北東建物) 建物配置は古代の国衙形式を踏襲したものとなっています。 |
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