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赤穂城は城址公園として復元・整備が充実しており、見どころ満載の近世城郭です。また石高に比較して城の規模はメチャクチャ大きく、石高が同規模の近隣の脇坂藩 龍野城と比べるとその大きさがわかります。城へは北の大手門、東の清水門、西の塩屋門から入ることができ、管理人は東駐車場に車を置き 大手門から入城しました。(写真左上) 大手門は外部と橋で繋がり、南側の塁線を折り曲げて橋に対して横矢がかけられ(写真左)、また虎口内部は大型の桝形空間になっています。(写真左下 右下ー桝形の土塁) |
(写真右上) 北側の塁線、「折れ」あり |
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ちなみに塩屋門(写真左上ー搦手門)・清水門(写真右上)も石垣が復元されています。塩屋門は大型の桝形構造だったようです。 |
三の丸
城内北側の平場で主に家臣・給人の屋敷地だったようです。現在、大石邸祉に大石神社が祀られ(写真右)、大石邸長屋門(写真左下)・近藤源八邸長屋門(写真右下)が現存しています。また三の丸の西側にはいわゆる「赤穂四十七士」の旧宅祉が各所に見られます。 |
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(写真左上) 大野九郎兵衛宅祉 |
(写真右上) 片岡源五衛門宅祉 |
二の丸
本丸をグルッと囲い込んだ郭で、三の丸とは二の丸外堀(写真左)で仕切られ、東ー南ー西側は瀬戸内の干潟に面していたと思われます。(現在は干拓され地続きになっていますが ・・・・・) 門は北に二の丸門(写真左下)が、西に西中門が設けられ、三の丸に繋がっています。内部は主に重臣の屋敷地(写真右下ー大石頼母邸)や藩の諸施設があったとされます。 |
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見どころ満載の赤穂城ですが、管理人が最もお薦めする見どころは本丸周囲の塁線です。近世城郭は直線状の塁線に「折れ」を取り込むのが一般的ですが、赤穂城の場合 さらに「ひずみ」(「歪み」)を取り込んで複雑な塁線に仕上げています。(写真左上ー北側の塁線 写真右上ー南側の塁線 写真右ー西側の塁線) |
本丸門(写真左下) 本丸の表門にあたります。一の門は櫓門、二の門は高麗門を採用、内部は桝形構造になっています。(写真右下) 現在の建物・石垣は明治期の古写真をもとに復元されたもの。 |
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本丸(写真左上・右上) 規模は東西160m×南北140mほど、虎口は北に本丸門、東に厩口門、南に刎橋門が設けられています。外周は高さ4−5mの土塁で囲まれ、外側は総石垣、内側は下段のみ石積で構築され(写真左)、四隅に櫓台が構えられていました。(写真左下ー南西側の櫓台)
内部にあった御殿は当時の規模がわかるように平面的に復元されています。また南東隅に天守台がポツ〜ンと残っていますが、ここに天守が構えられることはなかったようです。(写真右下) |
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(写真左上) 厩口門 |
(写真右上) 刎橋門 |
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水手門(写真右)
二の丸の南端、干潟に面して構築された門です。満潮時、このあたりは海水が石垣まで届き、水手門に隣接して物資輸送のための船溜が設けられていました。 |
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