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高田城は阿仁川中流域の右岸、北西方向に張り出した稜線上(比高 110m)に築かれた山城です。規模は東西250m×南北100mほど、東側の稜線続きを堀切で遮断して城域を区画しているようです。内部は南東端を主郭に北西方向に延びた稜線を段郭群に加工したシンプルな段郭構造で構築されているようです。規模は主郭が東西50−60m×南北30m、二の郭が東西90−100m×南北50−60mほど。
高田城は永禄年間(1558−70年)、在地領主の高田右馬之丞により築かれたと伝えられます。高田氏は鉱山の蔵宿を経済基盤とした在地領主でしたが、天正年間(1573−93年)の三郎右衛門の代に風張城主 松橋氏の攻撃を受けて高田城は落城したと伝えられます。 |