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(写真左上) 南側からの遺跡遠景 |
(写真右上・左) 復元竪穴式住居、地面を掘り込んで床をつくり、中央に炉が設けられています。構造は柱の配置、炉の位置により時代的な変化が見られ、屋根は茅葺き・樹皮葺き・土葺きがあったようです。 |
(写真左下) 復元土葺き住居 |
(写真右下) 復元高床式建物、集落の中央で発見された掘立柱建物祉、周辺に生活の痕跡が見られないことから高床式の建物だったと推測され、現在 三棟の高床式の建物が復元されています。 |
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(写真左上・右上) 南盛土、竪穴式住居や柱穴を掘った際の残土や排土・焼土を捨てたと思われる小山。内部から土器・石器等の生活廃棄物や土偶、翡翠等の遺物も確認され、現在
内部の断面を見ることができます。また翡翠が出土していることから糸魚川周辺との交易も推測されています。 |
(写真右・左下) 復元大型掘立柱建物、直径約2m、深さ約2mの柱穴が4.2mの等間隔で6柱分確認され(径1mのクリの柱が1本残存)、大型の高床式建物と推測されています。望楼あるいは祭祀施設か?。 |
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(写真左上) 復元大型竪穴式建物、長さ32m×幅10mの三内丸山遺跡最大の竪穴式建物、「ムラ」の中央に位置しており集会所・共同作業所・共同住宅等の説があるようです。 |
(写真右上) 土壙墓、円形・楕円形の穴墓は道路をはさんで向かい合うように2列に配置され、約500基の墓が確認されています。 |
(写真左) 泥炭層、北側中央に入り込んだ沢はゴミ廃棄場として利用されていたと推測され、土器・石器や木製品・漆器・動物や魚の骨・植物の種子・木の実・寄生虫卵等が出土しています。 |
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