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船匿城は壱岐島の東岸、瀬戸浦に臨む丘陵先端(比高30m)に築かれた丘城です。規模は推定 東西100m×南北60mほど。単郭の城館と思われます。同地は芦辺湾に張り出した稜線突端に築かれており、港湾管理をする城館として築かれたものなのでしょう。
築城時期・築城主体ともに不明。鎌倉中期には壱岐国守護職 小弐氏 |
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が拠し、弘安4(1281)年の「弘安の役」の際 壱岐国守護代 少弐資時は船匿城から出陣したと伝えられます。文明4(1472)年、波多下野守泰は壱岐を急襲し 「上松浦衆」(佐志、呼子、鴨打、塩津留氏等)を駆逐して壱岐島を支配下に置きます。この際、船匿城は波多氏に取り立てられたものと思われます。その後、永禄12(1569)年 主家 波多氏を追放して岸岳城を占拠していた日高甲斐守喜は波多下野守鎮に追われて壱岐に逃れます。そして喜は壱岐を制圧し この際、船匿城は日高氏の属城になったものと思われます。 |