船 匿 城
長崎県壱岐市(旧芦辺町)芦辺町箱崎大左右触
立地・構造
 船匿城は壱岐島の東岸、瀬戸浦に臨む丘陵先端(比高30m)に築かれた丘城です。規模は推定 東西100m×南北60mほど。単郭の城館と思われます。同地は芦辺湾に張り出した稜線突端に築かれており、港湾管理をする城館として築かれたものなのでしょう。

 築城時期・築城主体ともに不明。鎌倉中期には壱岐国守護職 小弐氏
が拠し、弘安4(1281)年の「弘安の役」の際 壱岐国守護代 少弐資時は船匿城から出陣したと伝えられます。文明4(1472)年、波多下野守(やすし)は壱岐を急襲し 「上松浦衆」(佐志、呼子、鴨打、塩津留氏等)を駆逐して壱岐島を支配下に置きます。この際、船匿城は波多氏に取り立てられたものと思われます。その後、永禄12(1569)年 主家 波多氏を追放して岸岳城を占拠していた日高甲斐守(このむ)は波多下野守(しげし)に追われて壱岐に逃れます。そして喜は壱岐を制圧し この際、船匿城は日高氏の属城になったものと思われます。
歴史・沿革
船匿城 南側からの遠景
メモ
壱岐国守護職 小弐氏の館城?
形態
丘城
別名
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遺構
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場所
場所はココです
駐車場
芦辺港の駐車場借用
訪城日
令和元(2019)年10月26日
船匿城は芦辺港の北方、北から南方向に張り出した丘陵突端に築かれた丘城です。(写真左上ー南西側からの遠景 写真右上ー南東からの遠景) でっ、写真の中腹にある民家の後ろ側が船匿城になるようで、ここには「船匿城居館跡将軍地蔵堂」が創建されているようです。時間の関係で未訪。
(写真左) 芦辺港フェリーターミナル前に建つ「少弐資時公像」