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少弐資時の墓所
芦辺町瀬戸浦東端の岬上にあります。昔から「ショウニイサマ」と呼ばれていた石積の塚が少弐資時の墓所とわかったのは明治31(1898)年とされます。 |
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壱岐神社
御祭神は「元寇」当時の亀山天皇、後宇多天皇と少弐資時公。昭和3(1928)年から壱岐島民により壱岐神社創建の事業が進められ、昭和19(1944)年 本殿竣工。昭和23(1948)年、三柱の鎮座祭を執行。 |
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復元烽火台
天智天皇2(663)年の「白村江の戦」で敗北を喫した大和朝廷は戦後、唐・新羅の日本侵攻をおそれ、対馬・壱岐に防人を配し、対馬ー壱岐ー九州を繋ぐ通信手段として烽火台を整備したとされます。 |
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碇石
瀬戸浦近海で引き揚げられた船の碇石。元軍のものなのか日本軍のものなのかは不明。素材は支那産の花崗岩、長さ2.4m、重さ300kg。 |
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千人塚
「弘安の役」で元軍に虐殺された壱岐島民の供養塔。壱岐にはこのような千人塚が各地に残されています。 |
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少弐資時公像
平成9(1997)年、芦辺港フェリーターミナル前に建立されました。 |
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ー 動画 壱岐 芦辺港 ー |