大官大寺は『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』によると聖徳太子が平群に建立した熊凝精舎を初源とし、舒明天皇十一年 百済川のほとりに移転されて百済大寺と改称されました。(『日本書紀』) その後、天武天皇二年、高市大寺(木之本廃寺に比定)として移転改称され、さらに文武天皇の御代に現在地に移転建立されて大官大寺に改称したと伝えられます。そして大官大寺は和銅三年、平城京遷都にともない移転されて大安寺と改称されましたが、もとの大寺の建設は継続されていました。しかし もとの大寺は建設途中の和銅四年、火災により焼失しました。(『扶桑略記』) 大官大寺の建設は藤原京の条坊に合わせて計画され、東は東四坊大路、西は東三坊大 |
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