川 原 寺
奈良県高市郡明日香村川原
 川原寺は飛鳥寺、薬師寺、大官大寺とともに「飛鳥四大寺」に数えられた大寺院でした。創建は7世紀中期、天智天皇の御代と推測されていますが建築時期、建設の経緯ともに不明。史料上の初見は『日本書紀』の天智天皇二(673)年三月の条に記載された「書生を集めて川原寺において初めて一切経を書写した」(意訳)との記事で、このため川原寺は日本最古の写経の寺と呼ばれています。また同地は天智天皇の母 斉明天皇が斉明天皇元(655)年、飛鳥板蓋宮が焼失したため、仮宮とした「川原宮」に想定されており、天智天皇が「川原宮」の跡地に川原寺を創建したとの説が有力なようです。
 川原寺の伽藍配置は発掘調査から のちに「川原寺式伽藍配置」と称される一塔二金堂形式だったことが確認されています。中門の左右から延びた回廊が伽藍の中心部を方形に区画し、回廊の中央に中金堂を設け、回廊内部の東に塔が、西側に西金堂が配置されていました。また中金堂の北側には講堂が構えられ、講堂の周囲には僧房が配置されていました。平城京遷都とともに他の三大寺は平城京に移されましたが、川原寺は飛鳥の地に残ります。しかし川原寺建久二(1191)年に消失(九条兼実の日記 『玉葉』に記載あり)したほか、複数回にわたって火災を受けたと推測され、中世以降 衰退して廃寺になったものと思われます。現在、中金堂祉に建つ「仏陀山 弘福寺」は真言宗豊山派の寺院で江戸中期の創建。現在、川原寺祉は

現地説明板の復元図
往時の伽藍配置がわかるように史跡公園として整備されています。(場所はココです)
南東側からの近景
南門祉 
中門祉 
中門の礎石 
回廊祉 
西金堂祉と塔祉
西金堂祉 
塔祉 
塔の礎石 
ー 動画 川原寺を歩く ー