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蘇 我 入 鹿 の 首 塚 |
奈良県高市郡明日香村飛鳥 |
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蘇我入鹿は大和政権の有力者 豊浦大臣蝦夷を父とし、皇極天皇の御代には大臣として国政を掌握する有力者とされます。しかし『日本書紀』によると皇極天皇四年の六月十二日、蘇我氏の専横に批判的だった中臣鎌足(藤原鎌足)は権力を天皇家(大王家)に取り戻すため、中大兄皇子(後の天智天皇)等とともに飛鳥板蓋宮において入鹿を暗殺したと伝えられます。(「乙巳の変」「大化の改新」) この政変により入鹿の父 蝦夷は蘇我本邸(「谷の宮門」)で自害し曽我氏本家は滅亡しました。(場所はココです) |
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