天武天皇・持統天皇陵
奈良県高市郡明日香村野口
 天武天皇・持統天皇陵は明日香村野口にある古墳時代末期の古墳です。別名は「野口王墓」(のぐちのおうのはか)。宮内庁より檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)として第四十代 天武天皇、第四十一代 持統天皇の合葬陵に比定されています。(『日本書紀』には「大内陵」と記載されています) 築造時期は古墳時代末期の持統天皇元(687)年頃。墳丘は東西60m×南北50mの円墳状。もともとの墳形は八角状の五段構造だったようです。内部には切石積みで構築された二つの石室が設けられ、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められていたようです。『阿不幾乃山陵記』によると鎌倉中期の文暦2(1235)年、古墳は盗掘にあい、副葬品の大部

現地説明板の図
分が持ち出されたとされます。この際、天武天皇の棺まで暴かれ、遺体を引っ張り出されため、石室内には天皇の遺骨と遺髪が散乱していたと伝えられます。また持統天皇の遺骨を納めた銀の骨壺も持ち出され、遺骨は近くに遺棄されたようです。(場所はココです)
南西側からの遠景
東側からの遠景 
「檜隈大内陵」 拝所